入院前検査
大和成和病院 初診
小田急線・南林間駅の駅前ロータリーで、病院の送迎用のバンに乗り込む。満席だ。乗っているのは、入院中の旦那の見舞いに行くという年配の女性や、病気らしく不安げな雰囲気を漂わせている中年の女性、会社の同僚の見舞いに行くと思われる手土産を持ってスーツを着たサラリーマンなど。私と同世代っぽい人はいない。自分は、見かけ上は病人に見えてないんだろうなぁと、勝手に思い込む。バンは、駅前の広い通りを右に曲がり、住宅街の中を、車2台すれ違うことができないような細い道を真っ直ぐに突き進む。その道の突き当りが、神奈川県大和市にある大和成和病院である。
川崎市立病院で紹介状をもらって2、3日経った後、アポを取る為に大和成和病院に電話をかけた。受付の女性が、「こちらの病院には手術できる医者が6名おりますが、ご希望はございますか?」と聞いてきた。まず驚いたのが、電話で予約を取るこの段階で自ら主治医を指定しなくてはならなかったこと。そして結果的に、この段階で決めた医者が執刀医になるのである。これは、民間病院であるが故のシステムなのかどうか分からないが、これまでの自分が病院に行った経験からは初めてのプロセスであった。かつ、患者にとって、病院と医者を自由に選択できる世の中の医療の流れがこれなのかと少し感じたのだ。さて、その時は、特に希望の主治医はいなかったので、「特に先生にこだわりはないのですが・・・」と伝える。その時、大和成和病院のホームページにある執刀医紹介のコラムに、南淵先生が奈良県立医科大学卒と書いてあったことが、奈良県出身の私には頭のどこかに記憶としてあったので、「え~と、確か、南淵先生って、院長先生ですよね?」となんとなく言ってみたところ、受付から直ぐにコーディネーターの深津さんに電話が回された。私の都合の良い日程と、検査の予約状況を見て、10月23日の午後の診察にアポが決まった。検査と診察を同じ日に行ってもらえるらしい。それまでの間は再び、不安な気持ちが継続する。早く診てもらった方がすっきりするのだが・・・
10月23日、大和成和病院の受付で、紹介状と保険証を提示してカルテを作成してもらう。そして、直ぐに心エコーとレントゲン検査。その後これまた直ぐに、院長の南淵先生の初診を受ける。
結論、「手術をお勧めします」とのこと。逆流のレベルはやはりかなり大きいらしい。
緊張に包まれた自分に対して、冗談を言ったりして和ませてくれる雰囲気の中、、この先生なら自分の手術をお願いしても大丈夫だというフィーリングを実感したので、その場で、「手術をよろしくお願いしま~す!」とあっさり宣言。こんなに簡単に心臓手術を受けることを決めてしまった患者は少ないだろう。
実は、私の過去の人生において、この初対面でのフィーリングの良し悪しの判断はほぼ間違ったことがないと自負している。就職した会社の採用担当者、かみさん、家を建てた時の建築家の先生、など。
この時点では、南淵先生がよくテレビに出演されていたり、漫画「ブラックジャックによろしく」の北三郎医師のモデルだとか、沢山本を書かれている有名な先生だということは、恥ずかしながらまだ知らなかった。ただ単に手術件数の多い病院の院長先生という程度の予備知識しかなかった訳である。ちなみに、南淵先生は、患者に対して自分の名刺を手渡されている。患者に名刺を渡す医者なんて見たことない。

診察の時、南淵先生が聴診器で私の心臓の音を聞いて一言、「こりゃ、ひどい音してるなぁ・・・」。私、「やっぱりそうですか・・・」。南淵先生、「あれ、自分の胸の音、聞いたことないの?」。私、「(普通の人が聴診器を持ってる訳ないし・・・)ないです・・・」。
そうすると、南淵先生が聴診器を自分の胸にあてて先生の心臓の音と私の心臓の音の違いを聞かせてくれた。スムーズでシンプルな先生の心臓の音に比べて、自分の心臓の音は、スースーと擦れるような音がした気がするが、緊張のせいで今となってははっきり思い出せない。自分の心臓が本当に病気なのだと決定的に認識するに至ったのはこの時が初めてかもしれない。なぜならば、いくらエコーの画面を見せられても、それが本当に自分の心臓の弁の画像なのかどうかは100%信用できない。そもそも、正常な心臓のエコーの画像を見たことがないのだから、赤や青の色付きの画面で、「この色の部分が血液の逆流ですよ」と言われても、実感に乏しい。また、この段階では、自分は酷い病気なのだとは信じたくない心理が働いているので、そういう証拠を何とかして否定したがるものだと思う。でも、ゴムの管でつながった聴診器で直接聞いた胸の音は疑いようもなく自分の心臓の音であり、明らかに普通の心臓の音とは違っていた訳だ。
「できるだけ弁置換するのではなくて、弁形成術でお願いします」と希望を伝えた。先生曰く、「それはよく分かってますよ。医者にとっても、形成術でうまく手術できた時の達成感の方が大きいですからね。でも、どうしてもうまくいかない時は弁置換します。あなたを殺すわけにはいかないので・・・まあ、弁自体の動きは良くて元気そうな心臓だし、弁の厚みがあって縫いやすそうだから、大丈夫かな・・・」「あと、カテーテル検査は必要ないですから」
ちなみに、私は、術前のカテーテル検査も、経食道エコーも、自己血の貯血もなかった。苦しい検査はせずに手術を迎えてしまう訳だが、どうしてこれらの検査を行わなくても良かったのかは質問もしなかったので結局分からなかった。
日程は、11月一杯は仕事の都合もあるので、12月頭からの入院にしたいと希望したところ、「では、12月5日入院、12月11日手術にしましょう」と、その場でトントン拍子に事が決まってしまった。
別の病院や有名な執刀医の先生によっては、手術の予約待ちで一年以上も待たされるケースもあると聞いた。また、実際の手術日も、入院前には決まっておらず、入院後に、「○○日に手術にしましょう」と、言い渡されるケースもあるらしい。
私の場合、診察時に、自分の希望通りの日程で入院、手術日を決定してもらえたのでとても有難かった。早めに手術の日程と執刀医を決定してもらえると、患者側の手術に向けての心構えの点で大きな助けになる気がする。
会社の休暇申請をする為に診断書を用意してもらった。「僧帽弁閉鎖不全症に対する治療を要するため、12月初旬から2月末日までの就労は不可能であると診断する。云々」とある。内心、「うゎ~、2月末まで・・・そんなに長い間会社休むの!?」と、嬉しいような悲しいような・・・
退院から仕事への復帰までに必要な時間は、もちろん個人差があるが、一般的には、自営業なら本人次第でいつからでも(退院翌日から仕事している人も現実にいるらしい)、デスクワークであれば回復の早い人で一ヶ月、通常二~三ヶ月、飛行機のパイロットなどの人様の命を預かる職業の場合は一年だそうです。
大和成和病院 初診の日 (TC-1 + Tri-X 400)
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川崎市立病院で紹介状をもらって2、3日経った後、アポを取る為に大和成和病院に電話をかけた。受付の女性が、「こちらの病院には手術できる医者が6名おりますが、ご希望はございますか?」と聞いてきた。まず驚いたのが、電話で予約を取るこの段階で自ら主治医を指定しなくてはならなかったこと。そして結果的に、この段階で決めた医者が執刀医になるのである。これは、民間病院であるが故のシステムなのかどうか分からないが、これまでの自分が病院に行った経験からは初めてのプロセスであった。かつ、患者にとって、病院と医者を自由に選択できる世の中の医療の流れがこれなのかと少し感じたのだ。さて、その時は、特に希望の主治医はいなかったので、「特に先生にこだわりはないのですが・・・」と伝える。その時、大和成和病院のホームページにある執刀医紹介のコラムに、南淵先生が奈良県立医科大学卒と書いてあったことが、奈良県出身の私には頭のどこかに記憶としてあったので、「え~と、確か、南淵先生って、院長先生ですよね?」となんとなく言ってみたところ、受付から直ぐにコーディネーターの深津さんに電話が回された。私の都合の良い日程と、検査の予約状況を見て、10月23日の午後の診察にアポが決まった。検査と診察を同じ日に行ってもらえるらしい。それまでの間は再び、不安な気持ちが継続する。早く診てもらった方がすっきりするのだが・・・
10月23日、大和成和病院の受付で、紹介状と保険証を提示してカルテを作成してもらう。そして、直ぐに心エコーとレントゲン検査。その後これまた直ぐに、院長の南淵先生の初診を受ける。
結論、「手術をお勧めします」とのこと。逆流のレベルはやはりかなり大きいらしい。
緊張に包まれた自分に対して、冗談を言ったりして和ませてくれる雰囲気の中、、この先生なら自分の手術をお願いしても大丈夫だというフィーリングを実感したので、その場で、「手術をよろしくお願いしま~す!」とあっさり宣言。こんなに簡単に心臓手術を受けることを決めてしまった患者は少ないだろう。
実は、私の過去の人生において、この初対面でのフィーリングの良し悪しの判断はほぼ間違ったことがないと自負している。就職した会社の採用担当者、かみさん、家を建てた時の建築家の先生、など。
この時点では、南淵先生がよくテレビに出演されていたり、漫画「ブラックジャックによろしく」の北三郎医師のモデルだとか、沢山本を書かれている有名な先生だということは、恥ずかしながらまだ知らなかった。ただ単に手術件数の多い病院の院長先生という程度の予備知識しかなかった訳である。ちなみに、南淵先生は、患者に対して自分の名刺を手渡されている。患者に名刺を渡す医者なんて見たことない。

診察の時、南淵先生が聴診器で私の心臓の音を聞いて一言、「こりゃ、ひどい音してるなぁ・・・」。私、「やっぱりそうですか・・・」。南淵先生、「あれ、自分の胸の音、聞いたことないの?」。私、「(普通の人が聴診器を持ってる訳ないし・・・)ないです・・・」。
そうすると、南淵先生が聴診器を自分の胸にあてて先生の心臓の音と私の心臓の音の違いを聞かせてくれた。スムーズでシンプルな先生の心臓の音に比べて、自分の心臓の音は、スースーと擦れるような音がした気がするが、緊張のせいで今となってははっきり思い出せない。自分の心臓が本当に病気なのだと決定的に認識するに至ったのはこの時が初めてかもしれない。なぜならば、いくらエコーの画面を見せられても、それが本当に自分の心臓の弁の画像なのかどうかは100%信用できない。そもそも、正常な心臓のエコーの画像を見たことがないのだから、赤や青の色付きの画面で、「この色の部分が血液の逆流ですよ」と言われても、実感に乏しい。また、この段階では、自分は酷い病気なのだとは信じたくない心理が働いているので、そういう証拠を何とかして否定したがるものだと思う。でも、ゴムの管でつながった聴診器で直接聞いた胸の音は疑いようもなく自分の心臓の音であり、明らかに普通の心臓の音とは違っていた訳だ。
「できるだけ弁置換するのではなくて、弁形成術でお願いします」と希望を伝えた。先生曰く、「それはよく分かってますよ。医者にとっても、形成術でうまく手術できた時の達成感の方が大きいですからね。でも、どうしてもうまくいかない時は弁置換します。あなたを殺すわけにはいかないので・・・まあ、弁自体の動きは良くて元気そうな心臓だし、弁の厚みがあって縫いやすそうだから、大丈夫かな・・・」「あと、カテーテル検査は必要ないですから」
ちなみに、私は、術前のカテーテル検査も、経食道エコーも、自己血の貯血もなかった。苦しい検査はせずに手術を迎えてしまう訳だが、どうしてこれらの検査を行わなくても良かったのかは質問もしなかったので結局分からなかった。
日程は、11月一杯は仕事の都合もあるので、12月頭からの入院にしたいと希望したところ、「では、12月5日入院、12月11日手術にしましょう」と、その場でトントン拍子に事が決まってしまった。
別の病院や有名な執刀医の先生によっては、手術の予約待ちで一年以上も待たされるケースもあると聞いた。また、実際の手術日も、入院前には決まっておらず、入院後に、「○○日に手術にしましょう」と、言い渡されるケースもあるらしい。
私の場合、診察時に、自分の希望通りの日程で入院、手術日を決定してもらえたのでとても有難かった。早めに手術の日程と執刀医を決定してもらえると、患者側の手術に向けての心構えの点で大きな助けになる気がする。
会社の休暇申請をする為に診断書を用意してもらった。「僧帽弁閉鎖不全症に対する治療を要するため、12月初旬から2月末日までの就労は不可能であると診断する。云々」とある。内心、「うゎ~、2月末まで・・・そんなに長い間会社休むの!?」と、嬉しいような悲しいような・・・
退院から仕事への復帰までに必要な時間は、もちろん個人差があるが、一般的には、自営業なら本人次第でいつからでも(退院翌日から仕事している人も現実にいるらしい)、デスクワークであれば回復の早い人で一ヶ月、通常二~三ヶ月、飛行機のパイロットなどの人様の命を預かる職業の場合は一年だそうです。

内科から外科へ
近い内に、仕事で再び海外赴任のチャンスが訪れそうな気配を勤め先で感じていた。そうなれば、早晩、会社の赴任前健康診断で現在の弁膜症の状態について明確にする必要がある。であれば、まずは自分で自分の状態を知っておこうということで、ようやく病院へ出向くことに・・・
どこの病院へ行くのが良いのか特に調べた訳でもなく、自宅から比較的近くにある川崎市立病院に行ってみる。心臓血管外科を受けたいのだがと受付で伝えるが、紹介状もなくいきなりノーアポで心臓血管外科では診てもらえないとのこと。まずは、内科で診察して下さいと言われる。内科医の診察、レントゲン撮影、採血、採尿。そして、その翌週、心エコー検査の予約が取れ、別の日に再度出向く。通常であれば、再び、その検査結果を聞くための診察を別の日に受ける訳だが、幸いに心エコー検査を行ってくれた技師が担当の内科医であったため、検査を行った直後、検査室のその場で、逆流が重度レベルであることと、手術を考えるべき段階であることを伝えられる。
すぐに手術に向けて動き出すか、若しくは、あと半年継続観察するかの選択肢を与えられる。しかし、弁膜症は自然に治ることはないという知識と、遅かれ早かれ手術を受けなくてはならないという覚悟は頭の片隅に以前からあった。手術すべきなら早い方が良いだろうと思い、手術を受ける方向で決断。
それでは、「外科に紹介状を書きますので、次回までに希望の病院を考えてきて下さい」とのこと。普通は同じ病院か系列の外科に自動的に紹介されるべきところ、「今の世の中、患者が病院を選ぶ時代なので、あなたが手術を受けたい病院を決めて下さい。もちろん、うちの病院でもできますよ」と、そこの内科の先生が仰っていたのが印象的であった。
2008年4月6日付の読売新聞に全国の心臓外科手術件数の資料が載っており、たまたまその記事を手元にファイリングしてあった。2007年実績において神奈川県で1番、全国でも4番目の手術件数を誇る大和成和病院宛てに、紹介状を用意してもらうことにした。(ちなみに、2008年の成人に対する手術件数実績では、冠状動脈バイパス手術では278件で全国最多、弁膜症手術では274件で全国第二位だったそうだ。)
川崎市立病院の内科の先生曰く、「僕はあなたの体を何も治療できなかったけど、大和成和病院の先生ならちゃんと診てくれるでしょうから、大丈夫ですよ」。良い先生であった。
実は、手術に対する不安と恐怖は、この頃がピークであった気がする。手足、指先の力が抜けてしまって、仕事で会社のパソコンのキーボードをたたたくのも、力が入らず、足が地につかずのフワフワした感じであった。
心臓手術は、全国で年間に約4万件(ペースメーカー手術を除く)行われており、その半数が冠状動脈バイパス手術、残りの2万件の内、1万5千件が弁膜症手術。更に、その弁膜症手術のなかで、僧帽弁の手術は年間7千件程らしい。今年の7千人分の1億2千万人の確率に当たってしまった訳だ。単純計算だと、0.00006%の確率。人生80年としても、0.0048%の確率。運が良いのやら悪いのやら・・・??
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どこの病院へ行くのが良いのか特に調べた訳でもなく、自宅から比較的近くにある川崎市立病院に行ってみる。心臓血管外科を受けたいのだがと受付で伝えるが、紹介状もなくいきなりノーアポで心臓血管外科では診てもらえないとのこと。まずは、内科で診察して下さいと言われる。内科医の診察、レントゲン撮影、採血、採尿。そして、その翌週、心エコー検査の予約が取れ、別の日に再度出向く。通常であれば、再び、その検査結果を聞くための診察を別の日に受ける訳だが、幸いに心エコー検査を行ってくれた技師が担当の内科医であったため、検査を行った直後、検査室のその場で、逆流が重度レベルであることと、手術を考えるべき段階であることを伝えられる。
すぐに手術に向けて動き出すか、若しくは、あと半年継続観察するかの選択肢を与えられる。しかし、弁膜症は自然に治ることはないという知識と、遅かれ早かれ手術を受けなくてはならないという覚悟は頭の片隅に以前からあった。手術すべきなら早い方が良いだろうと思い、手術を受ける方向で決断。
それでは、「外科に紹介状を書きますので、次回までに希望の病院を考えてきて下さい」とのこと。普通は同じ病院か系列の外科に自動的に紹介されるべきところ、「今の世の中、患者が病院を選ぶ時代なので、あなたが手術を受けたい病院を決めて下さい。もちろん、うちの病院でもできますよ」と、そこの内科の先生が仰っていたのが印象的であった。
2008年4月6日付の読売新聞に全国の心臓外科手術件数の資料が載っており、たまたまその記事を手元にファイリングしてあった。2007年実績において神奈川県で1番、全国でも4番目の手術件数を誇る大和成和病院宛てに、紹介状を用意してもらうことにした。(ちなみに、2008年の成人に対する手術件数実績では、冠状動脈バイパス手術では278件で全国最多、弁膜症手術では274件で全国第二位だったそうだ。)
川崎市立病院の内科の先生曰く、「僕はあなたの体を何も治療できなかったけど、大和成和病院の先生ならちゃんと診てくれるでしょうから、大丈夫ですよ」。良い先生であった。
実は、手術に対する不安と恐怖は、この頃がピークであった気がする。手足、指先の力が抜けてしまって、仕事で会社のパソコンのキーボードをたたたくのも、力が入らず、足が地につかずのフワフワした感じであった。
心臓手術は、全国で年間に約4万件(ペースメーカー手術を除く)行われており、その半数が冠状動脈バイパス手術、残りの2万件の内、1万5千件が弁膜症手術。更に、その弁膜症手術のなかで、僧帽弁の手術は年間7千件程らしい。今年の7千人分の1億2千万人の確率に当たってしまった訳だ。単純計算だと、0.00006%の確率。人生80年としても、0.0048%の確率。運が良いのやら悪いのやら・・・??