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(元)心臓病仲間の手術体験 -ゆきにゃんの場合-

12/22(土)に開催の(元)心臓病仲間の忘年会の参加者募集中です。詳細はこちらの記事へ。

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思い返せばゆきにゃんとの出会いも、やはり術前に頂いたメールからでした。そろそろ心臓手術を受ける時期だと自分で認識されていた折、「日程を具体的に決める前に、手術を経験された方とお話ができたらと思いメールさせていただきました」という連絡をもらいました。第八回の(元)心臓病仲間の集まりに術前参加してもらい、予定通りに手術を終えた後は、常連女性メンバーとして仲間を盛り上げてもらっています。ここ最近の(元)心臓病仲間の手術体験記の連打に刺激されてか、ゆきにゃんの心臓手術体験記が送り届けられてきました。やはり、同じ弁膜症であっても、肉体的状況や心理的思考は人それぞれですね。あと、文体というか文章の表現方法も人それぞれ特徴があって面白いと思いました。

カムバックハート

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ゆきにゃんの心臓手術体験記

弁膜症が分かったのは本当にたまたまで。
手術の数年前の30代中頃から、健康診断では心雑音を指摘されてたし心電図も陰性T波って書かれたけど、経過観察だったから「年取るとそんなもんかね~」って全然気にしてなかった。

2012年から一時的にPMS(月経前症候群)が辛くてピルをもらってて、2013年3月にその血液検査で血栓の数値が引っかかって要精密検査。っても基準値を微妙にオーバーしてるだけで、大丈夫っぽい。でもまあ循環器内科ってよく分からないけど行く機会ないし、記念に行っとくか~wってノリで循環器内科へ行き、婦人科からの紹介状で数値を見た循環器の先生にも鼻で笑われつつ「じゃあ一応、精密検査やりますか?」って感じで精密検査の予約を入れる。

2013年5月に検査して、当然のように「血栓の方は問題ありません」
「でも心エコーで僧帽弁という弁に異常が見つかりました。経過観察して、もしかしたら将来的に手術が必要になるかもしれません」というような説明を受ける。
急に心臓が悪いって言われても「誰が?は?私??」って全く、完全に実感ない。
「ふ~ん?まあ大したことなさそうだし、定期的に検査受ければいいんでしょ。手術なんてそうそうならないよね」と思ってた。
自覚症状?疲れやすいけど、運動不足の中年だから仕方ないかなって程度で、心臓のせいかどうかは分からないなぁ。 って感じ。

とりあえず、ネットで弁膜症と手術について調べる。

手術って心臓止めて切るんだ!
そんなん大丈夫なの?と思ったけど成功率すごい高い。
へ~、心臓って止めて切って縫って動かしてって出来るんだ~。そんなもんなんだね~。まあ筋肉だしな。ちょい特殊だけど。
手術結果の統計にはリスクが高いのも入ってるだろうし、条件悪くなければほぼ成功する手術なんだなと理解。
リスクが高いと思われるのは、心筋肥大などで心臓の状態が悪い、感染症がある、他にも大きな病気がある、高齢、緊急手術とかかな?
実績のある先生を選んで、事前に検査してちゃんと準備して挑めば大丈夫そう。
まあ手術だからリスク0にはならないけど、他の手術に比べてリスクが高いわけじゃない。何したって常にリスクはあるから、万全で挑むだけだ。

弁膜症が進むと心臓の状態が悪くなって手術のリスクが上がるし、回復も遅くなる可能性がありそう。といってもそこまで悪くないのに急いで手術する必要もないし、ほどよいタイミングで手術するのが良いのね。
なるほど~。手術しなくても、感染症予防に歯の治療はしておいた方がいいな。

まあ私はスグに手術が必要って訳じゃないけど、もし、もし、手術してもらうとしたら~、せっかく(?)大きな手術でチョイ珍しい病気だし(少なくとも知り合いにはいなかった)雑誌に載ってる”名医”みたいな先生にお願いするのもいいな~ (この辺からミーハーモードw) そんな時くらいワガママ言ってもいいよね!天皇陛下の執刀医・天野先生だってお願いできるんじゃない!?幸い都内も近いし♪
(この辺で鍋島さんのブログに辿り着いて、手術体験記熟読)
ふむふむ、南淵先生もいいな~。鍋島さん手術終わって元気そう。
まあ、もしも手術が必要ってことになったら、そういう実績のある先生の中から選んでお願いしよ~っと。

と思ってたら。
2014年4月、経過観察の循環器内科で「変わりはありませんか?」なんて話してるときにフッと先生の手元を見ると、前の先生(途中で先生が移動になって病院&先生変わった)からの紹介状があって「逆流:中から重程度」って書いてあるのが見えた。
ん?あれ?それって結構悪いヤツじゃ?ってか手術適応に近いんじゃない?
(先生が教えてくれなかったんで、勝手に自分は軽度だと思ってた)

ん~~~?と若干混乱しつつ、家に帰ってネットで調べる。
どうやらザックリ一般的に、内科の先生は「様子を見ましょう」と言い、外科の先生は「手術しましょう」と言う傾向があるっぽい。
内科の先生は手術って言いだしにくいとこがあるのかも?患者さん取りみだすかもしれないもんね。
外科の先生は職人ぽいとこあるし治せる自信があるんだろうから、状態が悪くなりすぎる前に手術した方が仕上がりがいいというかそんな感じ?

ってことは、外科の先生から見たら手術適応なのかも?私。
そういわれてみれば、疲れやすいし息切れするし夏バテひどいし湯あたりするし。歳のせいかと思ってたけど、心臓のせいなの??

え~、思ったより悪いんじゃん。
なにこれ、遠くない将来に本当に心臓手術ってこと?…産まれて初めての手術が心臓手術だって。すごいなf(^^;
じゃあ本気で手術してもらう先生考えておこうっと。

調べると、色んな術式があるみたいだけど、最新式のやつとかは実績が少ないよなぁ。
創が小さいとかいいなぁと思うけど、やっぱ実績のある先生にやりやすいようにやってもらうのがいい気がする。骨を切ってガバッと開いた方がやりやすいならそうしてもらていいや。
ってことで、実績のある信頼できる先生を選ぼう。

でも、ある程度以上実績のある先生なら、誰にお願いしても大丈夫な気がするなぁ。
近所でもそこそこ実績のある病院がある。旦那に来てもらうのに近所の方がいいかな?でもやっぱ有名な先生もいいよなぁ。
と、色々悩んで(ミーハー的にw)有名な先生方の著作物なんかも読んだりして、磯村先生にお願いしたいかなと(ちょっとファンになったというかw)

それで翌週、循環器内科へ血液検査の結果聞く&心エコーとか撮りに行ったんで、先生に「もしかしてゆくゆく手術の可能性があるんだったら、外科の先生にも診て欲しいかな~と思うんですけど…」と控えめに切りだすと「それでしたら、うちで紹介してるのはお宅のご近所の○○病院とか、○○病院とか、葉山ハートセンターとか…」「あ、葉山ハートセンター、磯村先生いいかなと思って…」「あ、磯村先生いいですよっ!磯村先生なら、もう本当に信頼おける先生ですから!分かりました、すぐ紹介状書きますね!!」って感じで先生のテンションが上がる。
なんかよく分からんけど、磯村先生オススメで良かった~。
(※当時、磯村先生は葉山ハートセンターにいらっしゃった)

んで、2014年5月初めに葉山ハートセンターに予約を入れて磯村先生に診てもらう。
検査の結果を直接、磯村先生から聞く。
磯村先生曰く
●弁逆流の程度は4段階中3
●心臓が若干大きくなってる
●バーローバルブという、僧坊弁逸脱症の中でもチョイ特殊な弁の状態
 ・普通の弁より厚みがあって、ゼリー状でぶよぶよしてる
 ・形成が、バーローじゃない普通の弁よりやや困難
  (磯村先生はそれなりにやったことがあるから、弁形成でいけると思うと)
手術、いつやります?(確か、翌週だかその次の週くらい空いてますよっていわれたような・・・f(^^;)
いやいや手術のつもりはあるけど、そこまですぐとは(汗)…ってことで、コーディネーターのお姉さんと相談して9月初めににすることに。
仕事を整理して、歯の治療をしなければいけないし。
結局手術直前には症状が進んでかなりヘロヘロになってたから、タイミングとしてはちょうどいい感じになった。

循環器の先生が磯村先生オススメだったのはバーローバルブだからだったのね。たぶん。
バーローバルブ、(元)心臓病仲間の中でも私とkeloさんだけじゃなかったっけ?ちょっと珍しい。
循環器の先生も”アナタは心臓手術が必要な上に特殊な弁で手術が難しいので、良い先生にやってもらったほうがいい”って、患者さんに言いにくいよね~。
私から磯村先生って言い出してくれて助かったってとこか?

まあそんなんで歯の治療して、仕事調整して休めるようにして、検査も色々やって問題なく。
旦那が手術を怖がって騒いでうるさかったけど(手術するのは私だってのww)
手術直前には症状が進んで&夏バテでバテバテだったんで、ご飯作ってもらうとか甘やかしてもらって(^^)

(元)心臓病仲間の集まりにも初めて参加させてもらって、磯村先生仲間と話をしたり。
集まりに来てるのは元気のいい人ばかりとは聞いてたけど、本当に何の集まりか分からんほどで、男性陣はスポーツやってる人も多くて元気がはじけてたw
私も元気になれるといいな~(と、その時は思ったけど、現状、はじけるほどは元気じゃないですw 中年として普通くらいww)

そういえば、弁形成できなかった場合に生体弁にするか機械弁にするかって、手術前に決めなきゃいけないけど、あまりよく考えなかった気がする(爆)
弁形成で行けるでしょ~と思ってたのと、なんか集中力なくて細かいところまで考えを詰められなかったというか。
ってか迷うよねぇ。その辺は集まりでもよく話題になるし。

手術の前の8月には自己貯血しに行って、普通400mlx2回採血のところを貧血気味だから200mlx3回で…って言ってたら2回目の採血の帰り道で具合悪くなり、吐きながら帰ったら1週間前に家に転がり込んできた妊婦猫様が仔猫を産んでる最中というカオスw ブッ倒れて吐きつつ猫様の出産を見守りながら葉山ハートセンターに電話したら「こちらに来ていただければ点滴出来るんですけど…」って、もう1時間半かけて家に帰ってきてるがなっ!途中で電話するべきだったか。(寝たらマシになった)
それが入院1週間前だったんで、結局自己貯血400mlで手術に挑んでほぼ全部使ってギリギリだったりとか。

手術は目が覚めたら終わってて(6時間くらいかかったらしい)思ったことは「人工呼吸器何これ苦しい~もう一度寝る~」で、次に目が覚めたときに弁形成できたって聞いたんだっけ?手術で除去した弁を見せてもらった。
ビロロ~ンって感じで本当にゼリー状?
旦那が写真を撮ってくれたけど、あの伸びるさまを動画に撮っておかなかったのが悔やまれるw

入院中もいくつか想定と違うことがあったけど(あばら骨が痛くて1週間くらい熱が出た&創から漿液が出過ぎて創が閉じられず入院が伸びた&そのせいで、高額療養費の関係もあるし月内に退院しようと思ってたのに翌月になった)まあ大したことなかったし、基本は先生&看護師さんにお任せだし(時間になると美味しいご飯が出てくる幸せw)、なんか、そういうこと気にならない性格なんで、入院中困ったことといえば猫様のお世話が出来ないことと、インターネットに繋がらなくて暇だ~ってくらいで無事退院できた。

退院後は、退院したから治ったと思いたがる旦那との認識のズレがきつかった。

旦那は基本的にはご飯作ってくれたり色々やってくれて優しかったんだけど・・・。
ちょい脳ミソ筋肉なとこがあるんで、たま~にアホが発動・暴走して困った。

旦那、すごい頑丈でとにかくタフな人なんだけど(だからこそ?)病院とか大嫌いで、私が手術するのもすごく怖がって大騒ぎしてて(苦笑)
そんなんで、退院したらもう治ったことにしたい気持ちもあったんだと思う。
治ったんじゃなくて毎日処置する必要がないから退院してるだけなんだけどね。

あと健康な人って、この微妙な状態を理解できない。
回復には個人差があるし、徐々に回復してても良くなったと思ったらイマイチな日があったりするし、そういうグラデーションみたいなの理解できない。
自分がなってみないと、なかなか分からないかもね。

個人差はあるけど、私は特に骨が痛くて(他の人はそこまで痛くない。病院では若い方が痛いと言われたけど…それなりに骨密度あったのかなぁ?)退院した直後に思ったのは「世の中バリアフリーじゃない!」w
レストランのドア(重いやつ)を開けるのに悪戦苦闘したり、毎朝起き上がるとき痛くて時間がかかってたりしてた。
徐々やれることは増えてくけど、術後1ヶ月位だとまだ胸骨をかばいながら動くって感じ。
そこそこ元気は元気だけど、健康な人の思う元気とは違うつーの。
私は創のおかげで入院が長引いて助かったかもしんない。

幸い(?)旦那の同僚の家族で同じ手術をした人がいて、本調子になるまで時間がかかった話を聞いて考えを改めてくれたんだけど。
しかし、それまでにいくつかヤラカシてくれたので、後日、大説教大会になりw有効と思われる再発防止策を提示できるまで、コンコンと私に問い詰められる旦那w(最終的に結構有効な策を示した)
(その後に旦那自身もケガをしたのもあって、アホは発動しなくなった(^^;)

今は4年ちょっと経ってボチボチ元気です。

薬なしで数年過ごしてます。
今でも坂道は苦しいし、ランニングとかする気にはなれないなぁ。
元々運動苦手だし。
でもまあ、疲れやすいけど徐々に体力付いてきてるかな。
ちょこちょこ不具合あるけど、運動不足中年のせいもあるからな~w
そろそろ少しずつ体動かそうかな~って気持ちになる程度には元気になってます(^^)v

執筆: ©ゆきにゃん(2018年12月)

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術後十回目の誕生日

心臓手術を受けてから今日で丸十年になります。「手術日」=「第二の誕生日」にアップしている恒例の創の写真です。光線の具合で見え方が変化しますが、もはや切り傷としての認識は全くありません。残っているのは記念の手術創です。



大げさかもしれませんが命をかけて心臓手術を受けた方は、恐らく誰もが治療によって救ってもらった命の大切さ、今生きていることのありがたみや周りの人への感謝の気持ちを、術前よりも強く感じる時があると思います。そうした感情が行動力の源となって、その人の人生での新たな目標や挑戦を得ることも多いと思います。

年月の経過は、一般的には人の記憶を薄れさせることでもあります。一時は高揚した術後の感情も放っておくといつしかそれが当たり前のこととしか感じられなくなってきます。そのようにして、心臓手術を受けたこと自体をすっかり忘れ、心臓病を患う以前の状態に完全に戻る方も多いようです。そうした方々はそもそもこのようなブログを読まれないし、集まりで出会うことはないのですが、それはそれで決して残念なことではありません。むしろ医者にとっては自分の患者がそうなってくれることは医者の冥利に尽きることだと思います。

一方、集まりで(元)心臓病仲間の話を聞くと、彼らの手術経験の記憶は常に鮮明で、時の経過による喪失感のようなものは感じられません。定期的な集まりで記憶を毎度リロードしているからなのかもしれません。集まりでは、術後直ぐの方も、手術から5年、10年、15年以上経った方も、何の違和感もなく初対面から知己として盛り上がることができます。いつまでも忘れない、忘れたくない各自の手術の記憶を共有できるからだと思っています。

心臓も脳と同じように記憶を保存することができるという科学的な話を本で読んだことがあります。なので、心臓移植をすると生前のドナーの記憶体験がレシピエントに感じられるそうな。詳しくはこちらの記事に紹介した本をご参照。もしかしたら心臓手術による生還の記憶は、脳よりも心臓に深く刻み込まれているのかもしれませんね。だから手術のことを忘れないで、心臓を愛でる、労わる、そういう気持ちを意識的に継続していれば、術後に生まれた高揚感を生きるエネルギーとして継続できるのではないかと信じています。

術後十回目の第二の誕生日を目前にして、(元)心臓病仲間の黒鉄さんからあることがきっかけで素晴らしい言葉を頂きました。これを読んで、私の気持ちは奮い立ちました。今朝もちゃんと起きることができたありがたみ、仕事をできるありがたみ、家族と過ごすことができるありがたみ、趣味に没頭できるありがたみなど。もし、50-60年前に自分が生まれていたら・・・私は今頃、弁膜症逆流度レベル4から10年以上が経過しており、心不全や合併症によって、もしかしたらもうこの世に生きていなかったかもしれません。弁膜症手術を行う為に必須の人工心肺装置が発明されたのが1953年のことです(先日紹介した、「まんが 医学の歴史」 茨木保著 医学書院にも書かれています)。それまでは心臓を止めて行う手術は実質できなかったわけです。50-60年前と言えば、わずか2世代ほど前のご先祖の時代のこと。何百万年も続く長い人類の歴史において、絶妙なタイミングで我々はこの世に生まれてきたのだなと宇宙観的思考が広がります。

術後、100%の快復を得ることができない方は沢山います。また術後何年間も順調だったのに、ある日突然に脳梗塞や脳出血に見舞われる方もいます。私はこの10年は幸いに元気にやってきました。しかし、明日以降どうなるかは全く分かりません。

術後、多くの人は術前より体力精神力共に強靭になります。でもいつか、心臓病の再発やその他の病気、又は老いで体が不便になることがあるかもしれません。不便であっても、不幸ではない、生きているのだから幸せなのだ。黒鉄さんに頂いた言葉を読んでそういう気持ちを新たに感じさせてくれました。

心筋梗塞を経験され生還された黒鉄さんだから書くことができる言葉です。我々の大事な(元)心臓病仲間のために書かれた言葉ですが、私にとって素晴らしい第二の誕生日のプレゼントとなりました。ありがとうございます。

カムバックハート

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我々は、
誕生日を2回以上持っている。
死亡日は0回だ。

命が助かって退院して・・・ <中略>

死人には忘年会はできない。
生きてるから休日出勤もできる。
心臓の性能は少々低下したが、命が助かってハッピーだ。
脳梗塞でも死んで当然の命が助かってハッピーだよ。

生きてるだけで丸儲け。
死んだらそれまでよ。

考心会も、今度の忘年会のメンバーも、

もしも
50年前の医術だったならば、
全員死んで誰一人として生きていない。互いの顔も名前も一切知らずに、会うこともなく死んだはず。

こんな幸福メンバー100%の会は、
他にないと思うね。

それに2回3回死ぬ可能性だった人もいる。けれども今は生きている。何倍も幸福だ。

©黒鉄2018
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黒鉄さんにはこちらの記事で参加者募集している忘年会でお会いすることができます。

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(元)心臓病仲間の忘年会2018 開催案内

(元)心臓病仲間の忘年会2018を、下記日時に開催予定です。(現時点での参加者は7名です。2018.12.15)
まだ参加可能です。参加ご希望の方は、カムバックハートこと鍋島までご連絡をお願いいたします。

日時: 12月22日(土) 12時~16時
場所: 新宿の飲食店内
会費: 飲食代実費(5~6千円)

カムバックハートこと鍋島

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(元)心臓病仲間の手術体験 -ともちゃんの場合(その2)-

ともちゃんの心臓手術体験記(その2)です。(その1を読まれていない方は、まずはこちらの記事へ)

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ともちゃんの心臓手術体験記ーその2-

心臓手術記録6

10月の手術入院までに手術時の輸血用に自分の血液を貯めておくことを命ぜられました。
400㏄を2回、合計800㏄の貯血です。1回目は7月に、2回目は手術直前の9月下旬に行いました。1回目の貯血分は手術まで期間が開いているため冷凍保存するのだそうです。
貯血はリクライニングシートに腰かけて背もたれを倒してじっと終わるのを待つのですがその間にいよいよ自分は本当に手術を受けるんだ、これは夢なんかではなく現実なんだという実感が湧いてきました。何とも言えない切ない気持ちになりました。

2回の貯血を終えるとあとはもう本番を待つだけです。毎日手術までの日数を数えながらやり残したことはないか頭を巡らせていました。無事手術が終わって退院してもしばらくは身体の自由は効かないはずですから、庭木の剪定をしたり年末にしかやらない換気扇の掃除や洗車など思いつくもの全てやりました。もしかしたらこれが最後のお勤めになるかもしれないなんてこともチラッと考えたりしながら。

ところで、この2回の貯血をする合間の8月に願ってもないチャンスが訪れたのです。以前からカムバックハートさんのブログ『心臓手術体験記』は定期的にチェックしていたのですが近々に(元)心臓病仲間の集まりを開催するとのこと。参加希望の意向を伝えたところ快く承諾してもらえたのです。「渡りに船」とは正にこのことを言うのだと思いました。

心臓手術記録7(本番)

10月8日(月)

嫌がってもその日は来ます。覚悟を決めて入院に必要な物を詰めたボストンバッグを肩にかけJ大学附属病院へ向かいます。緊張はしていたと思いますが手術は数日先でまだ日がありましたから、ちょっとした旅行気分でもありました。

入院手続きを終え病棟に到着するとナースステーションに行き看護師さんに挨拶し病室に案内してもらいます。4人部屋ですが1人あたりのスペースはとても広く、検査入院のときに利用した個室と大差ないなと感じました。しかも窓際でしたし病室は11階だったので眺望はとても良かった。こういうことは治療とは関係のないことですが幸先が良い気がして嬉しくなります。

入院初日は血圧測定や体温を測っただけで、点滴もせず昼食夕食を食べ夜景を見に来たようなものでした。

10月9日(火)~10月10日(水)

採血 心電図 レントゲン CAVI検査 冠動脈CT 頭部MRI トレッドミル ドクターより手術の説明

CAVI検査とは両腕、両足首に測定器をつけ動脈硬化の進行度を調べるものです。冠動脈CTは血管に造影剤を流しCTで撮影することで狭心症や心筋梗塞の進行度を調べます。また心臓手術の際に心臓内にあった血栓が体中に廻ったときに支障がないかを調べる意味もあるようです。私の場合どちらも全く問題なかったようです。
この日は看護師を目指すインターンの学生Uさんを付き添わせてもいいかと看護師長さんに頼まれたので快く承諾しました。退院まで私に付き添い様々なことを見学したり体験するとのことでした。手術の見学もするということは私の心臓を見ることになるんだなあ、と漠然と考えました。自分で自分の心臓を見ることはできないのに、、と少し羨ましい気持ちになりました。

9日の夜、担当医のO先生より手術の説明がありました。ここで人工弁の二者択一を迫られます。かのシェークスピアは「人生は選択の連続」だと言いましたが、今まで生きてきてこの時ほど選択に悩んだことはなかったかと思います。ただ入院前に結論は出してはありました。

「生体弁でお願いします。」

私の年齢では機械弁が推奨されるようなのですが、機械弁にするのであれば血液抗凝固薬の管理が必須となります。自分にはその自信がなかったのと、もしかすると将来は今回入れるであろう生体弁を残したまま新たな人工弁をカテーテルで留置する手術が一般化するかもしれないという期待を抱いての決断でした。そのためできる限り大きめの生体弁を入れてもらうようお願いしました。

この2日間で苦痛を伴う検査はひとつもありませんでした。いよいよ明日は手術の日です。
男性の看護師さんから術後のICUに持ち込む荷物に事前に作っておいた自分の名前を書いたシールを貼っておくよう指示がありました。手術着とT字帯を渡され緊張は一気に高まります。

10月11日(木)

6時起床。昨夜は緊張のせいかなかなか寝付けませんでしたが、どうせ麻酔をかけられて嫌でも眠らなければならないんだと開き直りほとんど眠らず夜を明かしました。
手術は午前8時30分から。本日一人目のまな板の鯉ということになります。8時前には家族が到着し、看護師さんに手術着に着替えるよう指示されます。8時15分、看護師さん、インターンのUさんと共に歩いて手術室まで向かいました。手術室の少し手前の大きな扉で看護師さんが「ご家族はここまでです」と家族を制したため「いってきます」と手を振り家族とはここで別れました。

このときの看護師Kさんがとても明るい方でした。今思えば術直前の患者の緊張を少しでも和らげるための選りすぐりのベテラン看護師であったように思います。

手術室は結構広く肌寒かったと記憶しています。まっすぐ手術台に向かい踏み台に上り自分で横になりました。何人ものドクター、スタッフの方々が私の体に色々なものを付けていきます。最後に「1分ほどで眠くなってきますからね」と言われて程なくして目の前にある無影灯がグニャリと歪んだように見えました。術前の記憶はここまでです。

心臓手術記録8

当然ですが目が覚めたのはICUのベッドの上でした。正直意識がはっきりするまでの出来事については前後関係が曖昧で正確にお伝えすることができません。人工呼吸器を喉の奥まで入れられ自主的に呼吸しようとすると人工呼吸器の動きと同期が取れずに息ができなくなってしまい大変怖い思いをしたことが特に印象に残っています。喉が異常に渇き、看護師さんに何度も氷をねだったこと。吐き気が酷く歩行訓練もまともにこなせなかったこと。ポータブルのレントゲン装置を背中の下に敷くため看護師さんの手を借り上半身を起こそうとしたときの激痛。この激痛も身体のどこが痛むのかもよく分からない状態。上半身が痛くて寝返りが打てないため背中が凝り始め非常に辛かったこと。精神的にも余裕がなく看護師さんに強い口調で氷を催促したことを思い出すと恥ずかしいのと同時に申し訳なかったなと反省しました。

色々なことが走馬灯のように頭の中に蘇ります。壁に時計が掛けてあったのですが2,3分おきにそれを見ていたように思います。身体中から管が出ていて身動きもとれませんでした。術前から特に心配していたことがありました。尿道に入れた管を抜くときはどんな感じなんだろう・・痛そう・・・
しかしそれは杞憂に終わりました。そんなことは上半身の痛みに比べたら大したことではなかったからです。

心臓手術記録9

それでもICUには一泊のみで手術の翌日には一般病棟に戻ることができました。しかし術後から始まった吐き気を伴う頭痛は一向に治りません。食事を出されても箸をつけることもできません。これには参りました。回診の時ドクターにそのことを訴えるとシグマートという薬を止めることになりました。シグマートは心臓の冠動脈を広げ血流を改善するための薬ですが、副作用として嘔吐、頭痛が上がっています。
シグマートを止めたせいかは分かりませんがその後吐き気と頭痛は治まり術後3日ぶりに食事が摂れるようになったのです。

術後はベッドに横になったり起き上がったりが物凄くしんどい作業でした。寝返りを打とうとすると首筋の吊るような痛みや背中に何かが突き刺さるような痛み、様々な痛みが同時に襲ってきました。仕方がないので座ったまま眠ろうと試みたりしましたが上手くいきません。それにICUを卒業しても体には様々な管が繋がっているため身体の自由が全く利きません。

それでも術後4日目くらいから少しずつですが痛みが引いてきたように思えました。食欲も出てきましたし、このころには腹部に刺さっていた管2本の抜去も済んでいたはずです。
寝たり起きたりは大変でしたが歩くことは平気になりました。もしかしたら軽いジョギングすらできるのではないかと思ったくらいです。

術後4日目から心臓リハビリプログラムが始まりました。心臓リハビリではホルター心電図計を装着しながらの歩行、階段昇降、トレッドミル、ストレッチなどをトータル1時間半ほどでこなします。汗をかくほどの運動ではありませんが、リハビリを終えると一層身体が軽くなるのが分かりました。術前の手術への重圧からも解放され、あとは日に日に元気になっていけるんだという高揚感で胸がいっぱいになりました。

術後5日目になると同室の患者さんと話ができるくらい気持ちに余裕が出てきました。隣の患者さんは胸骨を切らないMICSで僧帽弁形成術を受けたようでした。術後2日間はあぶら汗をかくほど創部が痛かったそうですが、その後はかなり自由に動き回っているように見受けられました。明らかに自分とは快復のスピードが違うなあと痛感させられました。

心臓手術記録10

私はその後手術からちょうど1週間で退院をすることができました。実は私は執刀医であるA先生には結局最後までお会いするチャンスはなかったのですが、手術を見学したUさんにA先生が執刀していたと聞いて本当にA先生が執刀してくれたのだと知ることができたのです。

いま入院生活を振り返るととても幸せな気持ちになります。前述の通りドクター、看護師の方たちがいつも明るく元気付けてくれ、何も不自由を感じることなく無事退院することができたのですから。

私の場合、将来再び選択を迫られる時が遅かれ早かれやってくるものと思います。それを承知で生体弁に決めたのですが、今回の一連の体験でその来たるべき時への不安はなくなりました。再手術をしなければならないとなった時どう感じるかは分かりませんが、今はいい思い出となった心臓手術体験を糧にして頑張っていける自信があります。カムバックハートさん率いる(元)心臓病仲間との出会いもそれを後押ししてくれています。

入院するにあたり沢山の人の力をお借りしました。勤務先の方々、友人、家族、、、人間ひとりでは生きていけないのだと改めて感じ元気で安心して生きていける身体を手にした今、お世話になった人たちに恩返しをしていきたいと心から思います。

皆さん、どうもありがとうございました。

執筆: ©ともちゃん(2018年11月) 

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(ご質問やご感想のコメント欄への記入をお待ちしています)

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(元)心臓病仲間の手術体験 -ともちゃんの場合(その1)-

今年8月のこと。「家族には色々助けて貰ってはいるのですが、同じ病気と闘っている仲間がいれば、また違った意味で心の支えになるのではと思いご連絡差し上げた次第です」と書かれたメールを、まさにこれから大動脈弁の心臓手術を受けようとされていた”ともちゃん”からもらいました。術前の方から連絡頂いたら集まりで心臓手術経験仲間と語ろうではないかというモードに突入するのが我々のやり方、ということで、8月に開催した集まりでお会いすることになったのでした。

心臓手術の経験者は自分の経験を語りたいもの、だけど、家や会社の中では共感して聞いてくれる人がいない、となれば集まりでしゃべりまくって発散しよう、という仲間が多いように思います。また聞き役として自分に必要な術後の情報を得る方もいます。そのような環境の中に飛び込んできてくれた手術直前のともちゃんには、心臓病仲間からの手厚い語らいが覆いかぶさったのはご想像の通りです。

そして今回手術を終えて再会することができたともちゃんのすっきりした顔を見て、ともちゃんも術後の仲間になったんだと嬉しく感じた次第です。よく考えると、このようなプロセスでこれまで接してきた仲間が何人もいます。ほんの些細なきっかけが、人生で巡り会うことができるか出来ないかという運命を紙一重のところで左右しているのだなと実感させられます。

さて、前置きはこれくらいにして、術後間もない時間で書いて頂いた「ともちゃんの心臓手術体験記」を公開いたします。心臓病発覚の経緯とその時々での患者の心境が詳細に記されています。既に手術を経験された方は、自分の経験との比較で共感したり、いや自分とはかなり違うなと思ったり・・・術前の方にとっては、優等生的心臓手術のプロセスを経られたともちゃんの最新の体験談は、事前シミュレーションや悩みの解消に大いに役立つことと思います。長文ですので、その1とその2に分けて掲載いたします。

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ともちゃんの心臓手術体験記ーその1-

心臓病記録1

事の発端は2か月以上続く空咳に耐え切れず自宅近所の内科医を訪れた時でした。

毎年秋から冬にかけて空気が乾燥してくる時期になると風邪を引いたわけでもないのに咳が出始め、2、3か月治らない。人と会話をするのもままならないし咳止め薬を飲んでも一向に良くならない。

そう伝えると先生は「ではまず胸の音を聞かせてもらってもいいですか?」
聴診器を私の胸に当てじっと俯き加減に目を閉じて聞き耳を立てていたかと思うと

「心臓に雑音が聞こえますね。こりゃ弁膜症じゃないかな・・・」

咳についてはアレルギーの可能性が疑われ抗アレルギー薬を処方され、その後1週間ほどで治まったのでした。

その時私は「弁膜症」がどんな病気なのか全く知りませんでした。内科医がつぶやいたその単語をインターネットで検索してみると想像以上に怖いことが書かれています。
私は心配になり地元にある心臓病専門の病院で検査を受けることにしたのです。

その病院の循環器内科での診察結果は

『重度の大動脈弁閉鎖不全症』

手術を薦められ直ぐに同病院の心臓血管外科に通されました。

「なるべく早く手術をしたほうが良い。現在の医学では人工弁に置換するのが最良の対処法である。人工弁には機械弁と生体弁の2種類があり、それぞれにメリット・デメリットがある。次回はご家族と一緒に来てください。」

自覚症状として2年ほど前から動悸を感じてはいましたが、まさかこれ程大事になるとは夢にも思わなかったので悪い事態だという実感もないまま病院を後にしました。

自宅に戻り事の経緯を家族に説明し、皆が深刻な表情に変わるのを目の当たりにし、ようやくこれはただ事ではないということに気が付いたのです。

心臓病記録2

自分は重症の心臓病である。術前も術後もそう思ったことはあまりなかったと記憶しています。ただ、この手術は成功率が100%ではなく死亡リスクが伴うという認識はいつも頭の片隅にありました。術後も場合によっては血液抗凝固薬を生涯服用しなければならない等のハンデを背負う可能性があるのです。ですから手術の時期を見極めることや手術件数を多くこなし安定した実績を重ねている病院を選ぶことがとても重要であるということは自分は心臓病なんだと観念して認める以前から意識するようになっていました。

ちゃんと病院を選ぼう、納得して自分の命を預けることができるドクターを探そう、そう考え行き着いた先が私の場合、J大学附属病院A先生でした。

有名なドクター達の著書を何冊か読み、そのドクターの人柄や考え方を知った上で自分に合ったドクターを選ぶ。なんだかとても高飛車に聞こえますが現代は患者がドクターを選ぶ時代という風潮が広がりつつあります。自分の命を預けるわけですから、それくらいしてもいいのではないでしょうか。

こうして最初に受診した地元の病院には行かず平成29年12月J大学附属病院の循環器内科で検査を受けたわけですが、結果は中等度の大動脈弁閉鎖不全症で半年ごとの経過観察。正直に言うとそのとき物凄くホッとしました。病気が自然治癒することはないにせよ、このまま数年、もしくは十数年は手術を免れるのではないかという期待までしたのです。

心臓病記録3

半年後の定期検査までの半年間、それほど深刻に考え込むこともありませんでしたが病気のことを忘れる日は一日たりともありませんでした。このどっちつかずの半年間というのも自分にとっては必要な時間であったと手術を終えた今は思います。

手術の術式をどうするのか、機械弁か生体弁か、医療費、障害者手帳や障害年金のこと、初めてで分からないことが沢山あり、調べてもその全てがなんとなく解ったようなそうでないような・・

心臓病手術を経験した人々のブログも探し、片っ端から読み漁りました。
このとき出会ったのがカムバックハートさんのブログ『心臓手術体験記』です。ブログでカムバックハートさんのお顔を拝見したとき、なにか無視できない不思議な縁を感じたのを覚えています。

そうこうしているうちにあっという間に半年が経ち平成30年5月定期検査の日がやってきました。検査は採血、心電図、超音波検査。今回も大丈夫だろうと変な自信を抱きつつ結果を待ちました。
自分の名前が呼ばれ診察室に入るや否や循環器内科のM先生曰く「悪化していますね。なにか身体に無理をしましたか?そろそろ手術適用時期に入りましたよ。手術の前に検査入院して下さい。」

私は普段特にこれといった激しいスポーツをやるわけでもない普通の中年サラリーマンです。身体に無理をした記憶もありません。それでも私の心臓は半年前よりも拡大し左心室への血液の逆流度合いは確実に悪化していたのです。

心臓手術記録4

定期検査の翌月平成30年6月、J大学附属病院への検査入院を余儀なくされた私はそれでもまだ検査入院の結果次第では手術は先に延ばせるのではと高をくくっていました。検査入院は2泊3日で主な検査は経食道心臓超音波検査と心臓カテーテル検査。経食道心臓超音波検査は胃カメラよりもう少し太いスコープを口から食道へ入れるのです。心臓を食道側から観察することにより経胸超音波検査に比べ、より正確な診断ができるとのこと。私の大動脈弁は普通の人のそれと違い生まれつき2枚しかない二尖弁かもしれないと診断されていましたが、この経食道心臓超音波検査でその確率は更に高いことが解りました。この検査は非常に辛かったのを思い出します。また心臓を取り巻く冠動脈に詰まりがあると狭心症や心筋梗塞を起こす危険があるとのことで開胸して弁膜症の手術を行う患者はついでにここも検査し、異常があれば冠動脈バイパス術で治してしまうという狙いから心臓カテーテル検査を行いました。カテーテルは左手首の動脈から挿入したのですが、痛みは感じませんでした。但し検査終了後にカテーテルを挿入した手首の止血処置の圧迫痛には閉口しました。

よく考えてみればこれらの検査は弁膜症手術の要否を診断するためではなく手術をどのように行うかを検討するための検査であったわけです。今更手術を先延ばしにできるかもしれないなどと期待することは愚の骨頂と言わざるを得ません。

検査の結果、やはり今年中の手術が望ましい、もしここでやるなら心臓血管外科に紹介するし他でやるつもりなら紹介状を書くが細かい話は来週の心臓血管外科の外来を受診して欲しいと言われたのでした。

ところで私は物心ついてから入院というものをしたのはこれが初めてでしたが、この入院で感じたこと、それはドクターおよび看護師、そして清掃作業員の方々でさえ表情が明るくとにかく親切だったことです。それはこの後の手術入院でも同様で、この病院全体の明るく親切な対応にどれだけ助けられたことか分かりません。


心臓手術記録5

検査入院を終え翌週の外来を控え、私の心は揺れていました。本当にこの病院で手術をやってもらうべきかどうかまだ悩んでいたからです。最近は心臓手術に限りませんが低侵襲、つまり痛みが少なく快復が早い身体に優しい術式を売りにしている病院が多く、胸骨を切らずに脇腹肋骨の合間から心臓にアクセスするMICS手術に魅力を感じていました。

J大学附属病院では大動脈弁置換の場合、胸骨を切って心臓にアクセスするのが最も安全かつ確実であるという考えのようでした。しかしMICSによる骨を切らない手術は快復が早そうですし、なにより手術に対する恐怖感が少ないと感じていました。それにこの時はまだJ大学附属病院A先生に執刀してもらえるのかどうかも分からない状態だったのです。
検査入院を含め今までの検査は循環器内科にかかっていたわけでA先生のいる心臓血管外科は次の外来が初めてとなるからです。

自分の中で今後の方針がはっきりしないまま心臓血管外科外来の日が来てしまいました。診察室に入ると循環器内科から私の検査データを引き継いだY先生が待っていました。紳士的な雰囲気でどこかA先生に似ている感じがしました。

A先生にはお会いしたことはなかったのですが、Y先生と話すうちに自分の中の迷いが消えていくのが分かりました。はっきり理由は言えないのですが検査入院の時の雰囲気も含め、この病院は自分の肌に合っているという安心感がありました。私は思い切って訊いてみました。

「A先生に執刀をお願いできますか?」

「分かりました。A先生の予定を確認してみます。手術はいつ頃なら大丈夫ですか?」
「10月頃が良いのですが・・」

「では10月の8日に入院していただいて11日に手術ということにしましょうか。手術は胸骨を半分だけ切って心臓にアプローチする方法でよいですか?」

「はい、それでお願いします。」

今まであれやこれやと悩んでいたのは一体なんだったのかと思うほど事がすんなり決まってしまい拍子抜けしました。それと同時にもう悩まなくてもいいんだという安堵感に包まれました。胸骨を半分だけ切る・・それで安全で確実な手術が受けられるのですから。

つづく・・・・

執筆: ©ともちゃん(2018年11月)

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の50歳男性。

2008年12月に40歳で心臓の僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

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このブログは、私が心臓弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。手術を受けた時の描写は2008年12月の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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