術後十四回目の誕生日
今日で、僧帽弁閉鎖不全症の弁形成術を受けてから丸14年になります。14年経っても、心臓の調子は一貫して良好です。これは何といっても確実で治療効果が長持ちする手術を実行して下さった信頼できる南淵先生のお蔭だと改めて強く思っています。先生曰く、弁手術については、流行りの新技法等に惑わされず、業界で一番信頼のおける確実な手術手技を淡々と実行してきたと仰っています。南淵先生の手術を受けた弁形成仲間が再手術に至った例が思い当たらない状況においては、正攻法を貫いてこられた結果が、我々患者のメリットとして実証されているのではと思います。
心臓を治せば、体の他の部分の不具合も良くなるもので、今から思えば、心臓手術直前の私の身体はボロボロでした。しかし、体調不良の原因となっていた心臓の弁を治すことで、その後、風邪らしい風邪を引くことなく、虫歯もなく、健康診断もまず問題なく、健康的な生活を過ごすことができています。基準値ボーダーをやや超えることもあったコレステロールと中性脂肪については、初めてもうすぐ1年になる簡易ランニングが効果を見せており、服薬せずとも運動によってコントロールされているという状況です。
最近はSNSが流行りですが、開設後14年になるこのブログは心臓手術を受ける前に情報を必要とする方や、術後の経過を知りたい方に、必要な時に見つけて読んで参考にして頂ければ良いと思っています。以前からの仲間については、たまに立ち寄って近況コメントを書き込んでももらえたりすると嬉しいものです。コロナ下で(元)心臓病仲間の集まりや、食事会・飲み会を開催することもしばらくやっていませんので、以前に比べるとブログを通じてご連絡を頂くことも減りました。ですが、新たな仲間からの連絡は今でも定期的にあります。本当はお会いして色々仲間の話を聴いて頂けると有意義なのですが、現在の状況下ではなかなかそれも叶わず、いつかお会いしましょうとメールでお話するばかりです。来年は何かやり方を考えて、(元)心臓病仲間の輪の維持発展を改めて検討していきたいと思います。

青森県産のリンゴです。ジューシーで、味が濃く、歯ごたえが良くて、とても美味しいです。
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心臓を治せば、体の他の部分の不具合も良くなるもので、今から思えば、心臓手術直前の私の身体はボロボロでした。しかし、体調不良の原因となっていた心臓の弁を治すことで、その後、風邪らしい風邪を引くことなく、虫歯もなく、健康診断もまず問題なく、健康的な生活を過ごすことができています。基準値ボーダーをやや超えることもあったコレステロールと中性脂肪については、初めてもうすぐ1年になる簡易ランニングが効果を見せており、服薬せずとも運動によってコントロールされているという状況です。
最近はSNSが流行りですが、開設後14年になるこのブログは心臓手術を受ける前に情報を必要とする方や、術後の経過を知りたい方に、必要な時に見つけて読んで参考にして頂ければ良いと思っています。以前からの仲間については、たまに立ち寄って近況コメントを書き込んでももらえたりすると嬉しいものです。コロナ下で(元)心臓病仲間の集まりや、食事会・飲み会を開催することもしばらくやっていませんので、以前に比べるとブログを通じてご連絡を頂くことも減りました。ですが、新たな仲間からの連絡は今でも定期的にあります。本当はお会いして色々仲間の話を聴いて頂けると有意義なのですが、現在の状況下ではなかなかそれも叶わず、いつかお会いしましょうとメールでお話するばかりです。来年は何かやり方を考えて、(元)心臓病仲間の輪の維持発展を改めて検討していきたいと思います。

青森県産のリンゴです。ジューシーで、味が濃く、歯ごたえが良くて、とても美味しいです。
術後十三回目の誕生日
2008年12月11日の土曜日が私の弁膜症僧帽弁閉鎖不全症の弁形成心臓手術でした。今日で丸13年が経過しました。心臓の状態は術後一貫して好調な状態です。平日は1万歩弱のウォーキングを続けています。最近、机に向かって座っている時間が長くなっているので、それと相対すべく体の負荷を少し高める動きを得る為に週末に軽いランニングもはじめました。今朝も近所を軽く走ったり歩いたりしたあと、このブログを書いています。ですが、これまで普段走らない生活を送っていた53歳が急に走れるようになれる訳でもなく、徐々にですが、走れる距離を伸ばしていけたらなと思って取り組んでいる次第です。それも心臓手術で通常のパワーを回復することができた心臓があるから実行できることで、13年前に心臓手術をして下さった南淵先生をはじめ病院スタッフの皆様のお蔭です。
術後10年くらいを過ぎてからは、術後の記念日への意識がやや薄くはなってきました。ですが、引き続き私にとって特別な日であることに違いはありません。13年前に心臓手術を受け、その心臓手術を受けた体験をこれから心臓手術を受けるかもしれない方々に情報発信したいという思いで当ブログを書き始めました。心臓に関することしか書かないというポリシーでブログを運営していますので、トピックとなる心臓にまつわる出来事がなければ新しい記事を書くことができない訳です。しかし、予想に反して、何かしらの心臓にまつわる話題が自らに起こったり、周りから提供されたりすることが続いており、13年間継続することができました。
ブログを通じて連絡を頂いた方々の人数は、通算すると500人以上いるのではないかと思います。一度切りのメールのやり取りで終わる方もいれば、最初のメール連絡をきっかけとしてその後何年も交流が続いている方々も沢山いらっしゃいます。何年も経ってから突然、「お久しぶりです!」と連絡を下さる方もいたりして、そんなときは私のことを思い出して頂けたのかと嬉しくなったりします。
また、(元)心臓病仲間の集まりやオンラインの交流会を開催して、心臓手術後の経験者との交流の輪がどんどん拡大していきました。住んでる場所、就いている仕事、学歴、趣味その他の分野では異なる方々と、心臓というキーワードだけで繋がることができた縁は今後も大切にしていきたいと思います。
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術後10年くらいを過ぎてからは、術後の記念日への意識がやや薄くはなってきました。ですが、引き続き私にとって特別な日であることに違いはありません。13年前に心臓手術を受け、その心臓手術を受けた体験をこれから心臓手術を受けるかもしれない方々に情報発信したいという思いで当ブログを書き始めました。心臓に関することしか書かないというポリシーでブログを運営していますので、トピックとなる心臓にまつわる出来事がなければ新しい記事を書くことができない訳です。しかし、予想に反して、何かしらの心臓にまつわる話題が自らに起こったり、周りから提供されたりすることが続いており、13年間継続することができました。
ブログを通じて連絡を頂いた方々の人数は、通算すると500人以上いるのではないかと思います。一度切りのメールのやり取りで終わる方もいれば、最初のメール連絡をきっかけとしてその後何年も交流が続いている方々も沢山いらっしゃいます。何年も経ってから突然、「お久しぶりです!」と連絡を下さる方もいたりして、そんなときは私のことを思い出して頂けたのかと嬉しくなったりします。
また、(元)心臓病仲間の集まりやオンラインの交流会を開催して、心臓手術後の経験者との交流の輪がどんどん拡大していきました。住んでる場所、就いている仕事、学歴、趣味その他の分野では異なる方々と、心臓というキーワードだけで繋がることができた縁は今後も大切にしていきたいと思います。
術後十二回目の誕生日
今日は12年前のあの日と同じような良い天気でした。この12年の間、12月11日に雨が降ったのは昨年の一回だけです。
朝の8時45分。会社のデスク。ふと手を止めて、12年前の今日の今頃、ストレッチャーで手術室に運ばれる直前だったなあと、リアルに記憶をよみがえらせる。
病気で亡くなった父の年齢をいつの間にか自分が超えているのも、心臓手術で弁の修復をしてもらったお蔭。
これまで術後の12年間に南淵先生の外来を受けた回数は、52回。
すごいのは、その52回の南淵先生の外来は、過去一度もキャンセルされたり、別の先生にバトンタッチされたことがないこと。
これが当たり前の事実ではないことは、考心会の最新の会報に南淵先生が書かれた私信を読むとよく理解できる。南淵先生の外来にかける思いのようなものが感じられる。
読んだ人にしか分からないと思うけど、救急車で運ばれるべき状態の心房細動が発生していても予定されていた外来を実施。たとえ、入院中であっても、一旦病院から出て外来先へ向かい、決して外来に穴をあけない。そこまでやってくれているのかと、文章を読んで、ぶったまげました。
(原文を読みたい方は考心会にお問い合わせを!)
また、以前の考心会主催の講演会で、南淵先生が大和成和病院の倉田先生の仰った言葉を述べていたのが印象に残っています。
倉田先生曰く、「僕から外来をとったら何も残りませんよ!」
医師が外来をこのように真剣に取り組んでくれているなら、
(元)患者も術後の健康を維持し続ける努力に最大限取り組まなくては申し訳ない。
生活、食事、運動。悪い習慣は改善し、健康的な習慣の維持に努め、時として緩みそうになる気を引き締める。
そして、治してもらった心臓と共に、引き続き人生を楽しんでいきたいと思った、そんな術後12回目の記念日でした。
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朝の8時45分。会社のデスク。ふと手を止めて、12年前の今日の今頃、ストレッチャーで手術室に運ばれる直前だったなあと、リアルに記憶をよみがえらせる。
病気で亡くなった父の年齢をいつの間にか自分が超えているのも、心臓手術で弁の修復をしてもらったお蔭。
これまで術後の12年間に南淵先生の外来を受けた回数は、52回。
すごいのは、その52回の南淵先生の外来は、過去一度もキャンセルされたり、別の先生にバトンタッチされたことがないこと。
これが当たり前の事実ではないことは、考心会の最新の会報に南淵先生が書かれた私信を読むとよく理解できる。南淵先生の外来にかける思いのようなものが感じられる。
読んだ人にしか分からないと思うけど、救急車で運ばれるべき状態の心房細動が発生していても予定されていた外来を実施。たとえ、入院中であっても、一旦病院から出て外来先へ向かい、決して外来に穴をあけない。そこまでやってくれているのかと、文章を読んで、ぶったまげました。
(原文を読みたい方は考心会にお問い合わせを!)
また、以前の考心会主催の講演会で、南淵先生が大和成和病院の倉田先生の仰った言葉を述べていたのが印象に残っています。
倉田先生曰く、「僕から外来をとったら何も残りませんよ!」
医師が外来をこのように真剣に取り組んでくれているなら、
(元)患者も術後の健康を維持し続ける努力に最大限取り組まなくては申し訳ない。
生活、食事、運動。悪い習慣は改善し、健康的な習慣の維持に努め、時として緩みそうになる気を引き締める。
そして、治してもらった心臓と共に、引き続き人生を楽しんでいきたいと思った、そんな術後12回目の記念日でした。
術後十一回目の誕生日
毎年、12月11日は必ず天気が良いです。というジンクスが今日日中は天気が良かったのに、夕方になって雷雨が降り(関東地方)、崩れてしまいました。
なぜ、毎年、12月11日は天気が良いと覚えているのかと言えば、その日は私が心臓手術を受けた日だからです。
何年経っても、この日は忘れません。今日で、僧帽弁の形成術を受けてから、丸11年です。恒例の創の写真撮影は、術後10年まででストップします。
術後11年、健康面の不調がなく、免疫力も術前の何倍も強くなっていることを体感できる状況に感謝している次第です。前回寝込むような風邪をひいたのは、実に10年前の2009年5月のことです。それ以降、発熱もありませんし、虫歯にもならなくなりました。毎日1万歩の運動は心地よく続けています。
先日自宅に郵送されてきた考心会の会報に投稿されている会員の皆さんのお便りを読むと、パイパス手術から10年や14年、弁手術から11年、12年、12年6カ月という方が立て続けに元気に活動されている様子を投稿されていました。私と同じような時期に手術を受けられた方々の声を聞くことができるのは同士のようで嬉しいものです。心臓手術仲間には、術後30年以上ワーファリンを服用し続けてバリバリ仕事されている方もいます。適切な時期に適切に手術を受け順調に回復に繋がれば、心臓手術を受けたことによるハンディというものは、基本的にその存在を感じさせないものだと思います。色々な意味で、ハンディよりはメリットの方が多いかもしれません。
ブログを読んで下さった方からのメールは継続的に頂いております。術前の方も多いのですが、今年は7月の(元)心臓病仲間の集まり以降、イベントを開催できませんでした。来年もしばらくは時間がとれないため、次回の集まり開催は来夏頃になるかと思います。ですが、ブログの方は引き続き更新していきます。また、皆さんからの心臓に関するご報告や投稿などありましたら、ご紹介させて頂きますので、当ブログへのコメントやメールでコンタクト頂ければと思います。
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なぜ、毎年、12月11日は天気が良いと覚えているのかと言えば、その日は私が心臓手術を受けた日だからです。
何年経っても、この日は忘れません。今日で、僧帽弁の形成術を受けてから、丸11年です。恒例の創の写真撮影は、術後10年まででストップします。
術後11年、健康面の不調がなく、免疫力も術前の何倍も強くなっていることを体感できる状況に感謝している次第です。前回寝込むような風邪をひいたのは、実に10年前の2009年5月のことです。それ以降、発熱もありませんし、虫歯にもならなくなりました。毎日1万歩の運動は心地よく続けています。
先日自宅に郵送されてきた考心会の会報に投稿されている会員の皆さんのお便りを読むと、パイパス手術から10年や14年、弁手術から11年、12年、12年6カ月という方が立て続けに元気に活動されている様子を投稿されていました。私と同じような時期に手術を受けられた方々の声を聞くことができるのは同士のようで嬉しいものです。心臓手術仲間には、術後30年以上ワーファリンを服用し続けてバリバリ仕事されている方もいます。適切な時期に適切に手術を受け順調に回復に繋がれば、心臓手術を受けたことによるハンディというものは、基本的にその存在を感じさせないものだと思います。色々な意味で、ハンディよりはメリットの方が多いかもしれません。
ブログを読んで下さった方からのメールは継続的に頂いております。術前の方も多いのですが、今年は7月の(元)心臓病仲間の集まり以降、イベントを開催できませんでした。来年もしばらくは時間がとれないため、次回の集まり開催は来夏頃になるかと思います。ですが、ブログの方は引き続き更新していきます。また、皆さんからの心臓に関するご報告や投稿などありましたら、ご紹介させて頂きますので、当ブログへのコメントやメールでコンタクト頂ければと思います。
術後十回目の誕生日
心臓手術を受けてから今日で丸十年になります。「手術日」=「第二の誕生日」にアップしている恒例の創の写真です。光線の具合で見え方が変化しますが、もはや切り傷としての認識は全くありません。残っているのは記念の手術創です。

大げさかもしれませんが命をかけて心臓手術を受けた方は、恐らく誰もが治療によって救ってもらった命の大切さ、今生きていることのありがたみや周りの人への感謝の気持ちを、術前よりも強く感じる時があると思います。そうした感情が行動力の源となって、その人の人生での新たな目標や挑戦を得ることも多いと思います。
年月の経過は、一般的には人の記憶を薄れさせることでもあります。一時は高揚した術後の感情も放っておくといつしかそれが当たり前のこととしか感じられなくなってきます。そのようにして、心臓手術を受けたこと自体をすっかり忘れ、心臓病を患う以前の状態に完全に戻る方も多いようです。そうした方々はそもそもこのようなブログを読まれないし、集まりで出会うことはないのですが、それはそれで決して残念なことではありません。むしろ医者にとっては自分の患者がそうなってくれることは医者の冥利に尽きることだと思います。
一方、集まりで(元)心臓病仲間の話を聞くと、彼らの手術経験の記憶は常に鮮明で、時の経過による喪失感のようなものは感じられません。定期的な集まりで記憶を毎度リロードしているからなのかもしれません。集まりでは、術後直ぐの方も、手術から5年、10年、15年以上経った方も、何の違和感もなく初対面から知己として盛り上がることができます。いつまでも忘れない、忘れたくない各自の手術の記憶を共有できるからだと思っています。
心臓も脳と同じように記憶を保存することができるという科学的な話を本で読んだことがあります。なので、心臓移植をすると生前のドナーの記憶体験がレシピエントに感じられるそうな。詳しくはこちらの記事に紹介した本をご参照。もしかしたら心臓手術による生還の記憶は、脳よりも心臓に深く刻み込まれているのかもしれませんね。だから手術のことを忘れないで、心臓を愛でる、労わる、そういう気持ちを意識的に継続していれば、術後に生まれた高揚感を生きるエネルギーとして継続できるのではないかと信じています。
術後十回目の第二の誕生日を目前にして、(元)心臓病仲間の黒鉄さんからあることがきっかけで素晴らしい言葉を頂きました。これを読んで、私の気持ちは奮い立ちました。今朝もちゃんと起きることができたありがたみ、仕事をできるありがたみ、家族と過ごすことができるありがたみ、趣味に没頭できるありがたみなど。もし、50-60年前に自分が生まれていたら・・・私は今頃、弁膜症逆流度レベル4から10年以上が経過しており、心不全や合併症によって、もしかしたらもうこの世に生きていなかったかもしれません。弁膜症手術を行う為に必須の人工心肺装置が発明されたのが1953年のことです(先日紹介した、「まんが 医学の歴史」 茨木保著 医学書院にも書かれています)。それまでは心臓を止めて行う手術は実質できなかったわけです。50-60年前と言えば、わずか2世代ほど前のご先祖の時代のこと。何百万年も続く長い人類の歴史において、絶妙なタイミングで我々はこの世に生まれてきたのだなと宇宙観的思考が広がります。
術後、100%の快復を得ることができない方は沢山います。また術後何年間も順調だったのに、ある日突然に脳梗塞や脳出血に見舞われる方もいます。私はこの10年は幸いに元気にやってきました。しかし、明日以降どうなるかは全く分かりません。
術後、多くの人は術前より体力精神力共に強靭になります。でもいつか、心臓病の再発やその他の病気、又は老いで体が不便になることがあるかもしれません。不便であっても、不幸ではない、生きているのだから幸せなのだ。黒鉄さんに頂いた言葉を読んでそういう気持ちを新たに感じさせてくれました。
心筋梗塞を経験され生還された黒鉄さんだから書くことができる言葉です。我々の大事な(元)心臓病仲間のために書かれた言葉ですが、私にとって素晴らしい第二の誕生日のプレゼントとなりました。ありがとうございます。
カムバックハート
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我々は、
誕生日を2回以上持っている。
死亡日は0回だ。
命が助かって退院して・・・ <中略>
死人には忘年会はできない。
生きてるから休日出勤もできる。
心臓の性能は少々低下したが、命が助かってハッピーだ。
脳梗塞でも死んで当然の命が助かってハッピーだよ。
生きてるだけで丸儲け。
死んだらそれまでよ。
考心会も、今度の忘年会のメンバーも、
もしも
50年前の医術だったならば、
全員死んで誰一人として生きていない。互いの顔も名前も一切知らずに、会うこともなく死んだはず。
こんな幸福メンバー100%の会は、
他にないと思うね。
それに2回3回死ぬ可能性だった人もいる。けれども今は生きている。何倍も幸福だ。
©黒鉄2018
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大げさかもしれませんが命をかけて心臓手術を受けた方は、恐らく誰もが治療によって救ってもらった命の大切さ、今生きていることのありがたみや周りの人への感謝の気持ちを、術前よりも強く感じる時があると思います。そうした感情が行動力の源となって、その人の人生での新たな目標や挑戦を得ることも多いと思います。
年月の経過は、一般的には人の記憶を薄れさせることでもあります。一時は高揚した術後の感情も放っておくといつしかそれが当たり前のこととしか感じられなくなってきます。そのようにして、心臓手術を受けたこと自体をすっかり忘れ、心臓病を患う以前の状態に完全に戻る方も多いようです。そうした方々はそもそもこのようなブログを読まれないし、集まりで出会うことはないのですが、それはそれで決して残念なことではありません。むしろ医者にとっては自分の患者がそうなってくれることは医者の冥利に尽きることだと思います。
一方、集まりで(元)心臓病仲間の話を聞くと、彼らの手術経験の記憶は常に鮮明で、時の経過による喪失感のようなものは感じられません。定期的な集まりで記憶を毎度リロードしているからなのかもしれません。集まりでは、術後直ぐの方も、手術から5年、10年、15年以上経った方も、何の違和感もなく初対面から知己として盛り上がることができます。いつまでも忘れない、忘れたくない各自の手術の記憶を共有できるからだと思っています。
心臓も脳と同じように記憶を保存することができるという科学的な話を本で読んだことがあります。なので、心臓移植をすると生前のドナーの記憶体験がレシピエントに感じられるそうな。詳しくはこちらの記事に紹介した本をご参照。もしかしたら心臓手術による生還の記憶は、脳よりも心臓に深く刻み込まれているのかもしれませんね。だから手術のことを忘れないで、心臓を愛でる、労わる、そういう気持ちを意識的に継続していれば、術後に生まれた高揚感を生きるエネルギーとして継続できるのではないかと信じています。
術後十回目の第二の誕生日を目前にして、(元)心臓病仲間の黒鉄さんからあることがきっかけで素晴らしい言葉を頂きました。これを読んで、私の気持ちは奮い立ちました。今朝もちゃんと起きることができたありがたみ、仕事をできるありがたみ、家族と過ごすことができるありがたみ、趣味に没頭できるありがたみなど。もし、50-60年前に自分が生まれていたら・・・私は今頃、弁膜症逆流度レベル4から10年以上が経過しており、心不全や合併症によって、もしかしたらもうこの世に生きていなかったかもしれません。弁膜症手術を行う為に必須の人工心肺装置が発明されたのが1953年のことです(先日紹介した、「まんが 医学の歴史」 茨木保著 医学書院にも書かれています)。それまでは心臓を止めて行う手術は実質できなかったわけです。50-60年前と言えば、わずか2世代ほど前のご先祖の時代のこと。何百万年も続く長い人類の歴史において、絶妙なタイミングで我々はこの世に生まれてきたのだなと宇宙観的思考が広がります。
術後、100%の快復を得ることができない方は沢山います。また術後何年間も順調だったのに、ある日突然に脳梗塞や脳出血に見舞われる方もいます。私はこの10年は幸いに元気にやってきました。しかし、明日以降どうなるかは全く分かりません。
術後、多くの人は術前より体力精神力共に強靭になります。でもいつか、心臓病の再発やその他の病気、又は老いで体が不便になることがあるかもしれません。不便であっても、不幸ではない、生きているのだから幸せなのだ。黒鉄さんに頂いた言葉を読んでそういう気持ちを新たに感じさせてくれました。
心筋梗塞を経験され生還された黒鉄さんだから書くことができる言葉です。我々の大事な(元)心臓病仲間のために書かれた言葉ですが、私にとって素晴らしい第二の誕生日のプレゼントとなりました。ありがとうございます。
カムバックハート
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我々は、
誕生日を2回以上持っている。
死亡日は0回だ。
命が助かって退院して・・・ <中略>
死人には忘年会はできない。
生きてるから休日出勤もできる。
心臓の性能は少々低下したが、命が助かってハッピーだ。
脳梗塞でも死んで当然の命が助かってハッピーだよ。
生きてるだけで丸儲け。
死んだらそれまでよ。
考心会も、今度の忘年会のメンバーも、
もしも
50年前の医術だったならば、
全員死んで誰一人として生きていない。互いの顔も名前も一切知らずに、会うこともなく死んだはず。
こんな幸福メンバー100%の会は、
他にないと思うね。
それに2回3回死ぬ可能性だった人もいる。けれども今は生きている。何倍も幸福だ。
©黒鉄2018
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