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心臓手術と鼠径ヘルニア手術の比較

私はこれまでに2度の外科手術を受けた。2008年12月に心臓弁膜症手術(僧帽弁形成術)、そして、今回、2012年11月に鼠径ヘルニア手術。鼠径ヘルニアに関わらず、心臓手術を受けたけど今度は別の手術を受けるという方は少なくない。「心臓手術を乗り越えたんだったら何の心配も要らないよ!」というのが私からのアドバイスになる訳だが、折角なので心臓手術と一般外科手術という種類の異なる手術について、患者の心境や状況の比較を参考までに記してみたいと思う。

①心境
心臓手術を宣告された時の不安は、それは一言じゃ言えないくらい大きなもの。「なぜ自分が?一体この先どうなるんだ?痛いのが怖いなぁ・・・」。その不安と恐怖は、心臓手術というイベントに対する情報を得ることによって徐々に解消される。そして結果的に、「手術前日には不安はゼロ。手術当日は何か楽しいことが起こるのではないかというワクワクした気持ちで手術室に向かうことができる」というのが、私自身を含めてこのブログを通じて知り合った(元)心臓病仲間の多くから聞いてきた心境だ。
その経験が先にあったからなのか、鼠径ヘルニア手術を宣告された時に不安は一切なかった。外科手術はどの執刀医でも同じ結果を出せるデジタル作業ではなくて、職人技が反映されるアナログ作業だということは分かっていたので、誰に執刀してもらうべきかという点のみが考慮すべき点であった。信頼する病院が決まった後は、一切の不安はゼロ。鼠径ヘルニアと診断されてから腹の違和感が徐々に強くなりはじめていたので、早く治してすっきりしたいという気持ちが強かった。

②リスク
「心臓手術は一般消化器系外科手術の6000倍のリスクがある」と南淵先生がどこかで書かれていた記憶がある。心臓手術を受ける際にリスクがあることは十分認識していた。死生観も感じたはずだ。かといって、何も準備することはできなかったのだが。結局患者本人にとってのリスクは0%か100%のどちらしかない。賭けのようなもの。これを両手術で比較するのはちょっと難しい・・・

③麻酔
心臓手術の時は、病室で手術開始1時間前に筋肉注射を打つ。だんだんと気分が落ち着き良い気持ちになってくる。ストレッチャーに寝た状態で手術室へ入場する。点滴から麻酔導入されたのか、筋肉注射が効いてきたのか分からないがマスクを顔にかけられる前に眠りについてしまった。
ヘルニア手術の時は、手術開始直前に点滴。点滴を持って立って歩いて手術室へ入場。手術台に寝て、麻酔のマスクを顔にかけられて、気体状の麻酔で眠りの世界へ・・・

どちらも全身麻酔適応であった。心臓手術の際の麻酔時間は、約7時間(手術時間は3時間25分)、鼠径ヘルニアの麻酔時間は2時間9分(手術時間1時間36分)。前者は気管内挿管を行い人工呼吸を行っているが、後者は気管内挿管は行っていなかった。麻酔の種類も別物だと思うが、覚醒後、後味が良かったのは心臓手術の麻酔の方。創による術後の痛みもほとんどなかった。ヘルニア手術の方は、手術が終了すると麻酔が急に切れてくるのか、お腹のムカムカ感と創部の痛みが突然にやってくる感じがあった。

④ICUとHCU
心臓手術後、ICUに手術翌日の朝11まで滞在した。ヘルニア手術後はHCUに入り、翌日そこから一般病棟をパスして退院した。心臓手術後のICU滞在中は、酒に酔った親父気分で、優秀なICU看護師さんにケアして頂き、良い意味でのICUシンドロームなのか私にとっては居心地はまずまず良いものであった。一方、ヘルニア手術後のHCUでの滞在は、麻酔からの目覚めも早いからなのか、体の回復に精力を尽くさなくてはない気分があり想像以上に辛かった。これは、心臓手術後ICUから一般病棟(HCU)に移った頃と同じイメージだ。ICUにいる時は薬剤で体をコントロールされている面が強いから逆に辛くないものなのかもしれない。

⑤術後
心臓手術もヘルニア手術後も当初はどちらもベッドから動けず、背中や腰が痛かった。気管内挿管の影響で心臓手術が終わり覚醒して数時間の間の喉の渇きは尋常ではない。そして、医者から水を飲むことがやっと許可されて飲む水の美味しさは文章では表現不可能なくらい実に美味しい。これは経験者の誰もが唱える感想だ。ヘルニア手術の方は、気管内挿管がなかったので、術後初めて水を飲ませてもらった時には、美味しさを相当期待して口にしたにも関わらず、「あれ~、これ普通の水じゃん!」としか思わなかった。
炎症反応による発熱はどちらの場合もあった。37度半ばくらい。心臓手術後は、抗生物質でその炎症反応を抑えていたが、ヘルニア手術の際の発熱は1日で自然に消えていった。酸素飽和度はいずれも早期に回復していた。

⑥創と回復
心臓手術は、胸骨正中切開を行い、創は縦方向に21cm。たんを出したり、咳をしたり、くしゃみをすると胸骨に響き痛い。肩などに余計な力が入るので、心臓以外の部分に痛みがでる。この痛みは約1ヵ月でほぼ問題なくなり、術後約3カ月で術前以上の動きが可能になる。
ヘルニア手術は、左足の付け根部分に6.5cmの横方向への切り込み。手術翌日までは強めの筋肉痛っぽい痛みが多少あるが、それ以降は痛みはほとんどない。胸骨を切開していないので、回復は相当早い。

⑦違和感
心臓手術後は、不整脈はなかったが心拍数が早かった。それはあまり気にならなかったが、切開した胸骨の回復が最大のポイントであった。人工弁輪は弁の形成に使用されているが違和感は一切ない。術後約3カ月で胸骨も元に戻ったころには違和感らしい違和感はなく、術前よりはるかに元気で調子の良い体になっていた。
鼠径ヘルニア手術では、メッシュシートが筋肉の補強として埋め込まれている。術後数日では異物が貼り付いている感覚があるが、日毎にその違和感は薄れつつある。筋肉組織と一体化すれば違和感は無くなってしまうと言われている。

⑧再手術
どちらもやはり受けたくない!ただ、もしそういうことになっても、理不尽な病気様と前向きにつきあっていける自信はある、と思う。

⑨達成感
それはエンドルフィン出まくりで、どちらの達成感も大きい!それなりのプロセスを経て、健康体とリスクを天秤にかけて治療を終えた訳なのだから。病院、執刀医、手術室スタッフの皆さん、看護師さん、検査技師の皆さん、受付の皆さん、それから周りで心配してくれた方々に対する感謝の気持ちは強く湧き上がる。

⑩ドラマ性と患者同士の連帯感
心臓手術の周りにはなぜか幾つもドラマが生まれる。それは自分の手術の時もそうだし、知り合った(元)心臓病仲間の体験を聞いてもドラマ性を強く感じる。心臓手術は心臓という人体で唯一鼓動する臓器、生命の源とも言える神秘的な臓器を対象にした手術である。心臓手術と聞くと、「深刻な病気、命にかかわる危険、自分でなくて良かった、若しくは、自分には理解できない別の世界の出来事」と言ったイメージを人は客観的に持つことが多いのではないかと思う。そういうイメージがあるが故に、実際にそのプロセスを経験するものには強烈なドラマ性が発生する、若しくは、感情的なものが想像以上に湧き上がってきたりするのかもしれない。ブログを通じて多くの(元)心臓病患者と知り合うことができ、(元)心臓病仲間同士の連帯感はことのほか強く感じている。
鼠径ヘルニア手術は、病気の診断から手術、そして外来卒業まで1か月強の早い時間の流れの中で一連の過程が過ぎ去っていった。心臓病仲間の中にも、同じ鼠径ヘルニアを患っていますと連絡を頂いたたかしげさんや、子供の頃に鼠径ヘルニア手術を受けたというかんちゃんもいらっしゃる。今後、鼠径ヘルニアを通じて、何かしら連帯感が深まるのかどうかは未知だ。

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鼠径(そけい)ヘルニア手術体験記 その3

先日、鼠径ヘルニアの開腹手術を受け、手術翌日に退院。そこまでは過去のブログ記事に記載した。退院後のその後の経過は次の通りであった。

2012.11.18 術後3日目
左足付け根部分にテープが張り付いているような違和感を感じ始める。創部を保護する透明なテープが実際に貼ってあるので、その違和感を感じているのか、若しくは、手術で体の中に埋め込まれたメッシュシート自体の違和感を感じているのかの区別がつかない。それと、術部の反対側である右脚付け根部分に内出血を発見。翌日は外来なので診てもらおう。

2012.11.19 術後4日目
川崎幸クリニックにて外来診察。創部に貼ってあるテープをはがす。創の回復は順調。反対側の足の内出血については経過観察。3日後に再度外来にて状況を確認することになった。

手術結果の説明を受ける。神経に傷をつけることなく予定通りに手術は成功したとのこと。その際、手術記録のプリントアウトを頂きたい旨、お願いする。その目的は、まずは自分がどのような手術を受けたのか、医者からの口頭での説明以上に書き物で理解しておきたいということ。そして、将来何かの病気になったり、新たな手術の必要性が起こった場合に、過去にどのような手術を受けているのか医者に具体的に提示して説明することができるからの2点である。

手術自体は川崎幸病院で行われたが、今日の診察は川崎幸クリニックであったので(診察医は執刀医だったが)、データを患者に渡しても良いか川崎幸病院に確認しますとのこと。診察室から出ようとした際、先生が、「そういえば、ナブチ先生は手術のビデオとか配るんですよね」と聞いてきた。「はい、そうです。今回はビデオじゃなくてもいいんですけど、自分がどのような手術を受けたか分かる簡単な資料は欲しいですね」と改めて伝える。

その先生の段取りにより、当日、川崎幸病院の2F受付でデータを頂けることになった。徒歩10分で川崎幸病院に到着。話が通っていたので、すぐに担当者が応対。データ開示依頼書にサインして、手術画像が添付された外科手術記録をその場で受け取った。

術式:ヘルニア根治術(UHS法)
手術時間:96分
麻酔時間:129分
出血 10cc
輸血 ゼロ
術中合併症:なし

術前の所見や、手術の手順と施した治療内容、手術画像のスナップショットが盛り込まれていた。

手術記録2

その日の夜、内出血が更に酷くなってきた。内出血したドス黒い静脈血が重力で下の方に流れてきて行き場を失い溜まって膨らんでいる感じ。痛みはないが、見た目ちょっと心配。尿管を抜いた後、暫くおしっこする時に痛かったので尿管から出血かもと思ったが、血尿は出ていない。

休薬していたとはいえ、バイアスピリンの影響が体に残っていたのかもしれない。とりあえず、明日の朝まで様子を見ようとうことにして寝た。

2012.1120 術後5日目
内出血は、前日夜よりかなり改善していた。血液が溜まっていた膨らみは無くなっている。だが、皮膚の色がどす黒いままなのが気になる。

術部に埋め込んだメッシュシートの違和感はこの頃がピークだった。それ以降はだんだん慣れてきたのか、筋肉の組織との一体化が始まったのか分からないが違和感は薄れ始める。

2012.11.22 術後7日目
外来。祝日前だからなのか、クリニックが異常に混んでいる。完全予約制の診察なのでいつもは待ち時間がほとんどないのだが、この日だけはかなり待たされた。結果、内出血は問題なさそう。次の日からバイアスピリンも服用を再開してもよいとのこと。脚の違和感は1ヵ月も経てばほとんど感じなくなるらしい。

入院中のレンタル備品(タオルやティッシュペーパーなど)の請求書が郵送で届いた。1日分なので350円。

2012.11.24 術後9日目
夕方、家で刃物を砥石で研ぐ作業を少ししたら、腹に力が入ったのか、メッシュ部分に違和感が出てしまった。夜、シャワーを浴びたらましになった。腹圧のかかる作業はまだまだ要注意。

2012.11.30 術後15日目
夕方、仕事が終わった後、会社からクリニックへ直行。外来診察。問題なし。これでめでたく外来を卒業となった。最後に今回の手術治療についての病院からのアンケートに答えて帰路についた。

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鼠径(そけい)ヘルニア手術体験記 その2

鼠径(そけい)ヘルニア手術体験記事の続き編です。
正直、今回の手術を少し甘く見ていました。想像以上の術後の辛さを味わうことに・・・

2012.11.15
手術当日の朝。5時半に起きる。自宅の窓から外を見ると秋晴れのすがすがしい透明感のある朝。朝風呂に入った。体を丁寧に洗う。6時前に水を少し飲む。それ以降は水分を取ってはいけない。



8時前に自宅から徒歩で病院に到着。2階受付へ。入院証書と保証金5万円を預ける。救急外来の窓口付近のソファで少し緊張しながら暫く待つ。看護師さんに呼ばれて診察室の中へ。そこでいきなり青色の手術着に着替え。手術同意書や麻酔同意書を提出。検温と血圧測定。普段正常な血圧が異常に高い。160-110、深呼吸して再度測っても145-110。三度目も同じくらい。術前の緊張のせいか?いや気持ち的に緊張はしていない。明らかな高血圧値。つまり、休薬しているアーチストやワソランが普段の私の血圧を押さえてくれていたのだ。日頃の服用薬はただの予防薬ではなかったのだ。

点滴を左手手首に刺す。採血の針と違って、点滴針は血管の中をかなり長く刺さなくてはならない。看護師さん、一発でうまく決めてくれた。うん、お上手!そして、9時前に4階にある手術室へ。手術室入口に看護師や家族に付き添われた患者が3組ほど待機していた。どうやら朝9時開始の手術のラッシュのようだった。手術室フロアには4つくらい手術室が並んであるそうだ。9時丁度に入口で自分の名前、生年月日と受ける手術内容の確認が手術室看護師と麻酔医によって行われる。手術内容も鼠径ヘルニアというだけではなく、右側なのか左側なのかちゃんと部位も確認をとっていた。確かに間違って正常な方を切り開かれでもしたら問題だ。ここまで付き添ってくれた看護師さんに目で挨拶をして、そのまま点滴を持って手術室へトコトコと歩いて入場。

手術室は結構広い。学校の教室くらいの広さかな。ど真ん中に手術台。これが自分の舞台。言われて早速仰向けに寝転がる。あとはされるがまま。BGMというかラジオの番組か何かが流れていたと思う。心臓手術の時には強く匂った消毒薬の臭いはあまり感じなかった。ヘルニア患部の術野を撮影するビデオカメラも手術用照明灯の横に見えた。顔にマスクを置かれ「では麻酔を流し始めますよ」の声で、手術室看護師さんの顔が段々と歪み始める。数秒後、もう意識は無かった。

手術中は、沢山夢を見た。だが、その夢が何だったのかは今となっては全く思い出せない。

「手術が終わりましたよ」と周りで甲高く叫んでいる看護師さんの声で目が覚めた。

覚醒後に尋ねた質問は次の4つ。これははっきり覚えている。

「執刀医はどの先生ですか?」 (どの先生が執刀するのか術前結局分からず仕舞いだったから)
「○○先生ですよ~」

「ここはICUですか?」(手術室で麻酔が覚めると聞いていたのにそれっぽくない場所だったから)
「そうですよ(正確にはHCU)」

「今何時ですか?」(手術時間はどれくらいだったのだろうか)
「12時20分です」

「おしっこの管は入っていますか?」(尿が溜まっている感じがする。このまま出してもいいのだろうか)
「は~い、ちゃんと入ってますよ」

案外冷静に色々なことを考えて発言していたなぁと思った。覚醒すると意識ははっきりしていて、喋ったり聞いたりした言葉が記憶にかなり残っている。

11時半くらいに手術は終わったようだ。執刀した先生からの手術報告を家族が聞き、12時頃、目が覚めた自分と面会した。場所は、10階のHCUのベッドの上だった。

手術当日のHCUでの滞在は辛かった。ヘルニア手術如きと少し甘く考え過ぎていたようだ。一泊二日の入院なので、当然手術当日の夜にはもうピンピンして動き回れるものかと思っていた。暇つぶしの読書用の本まで持参してきたのだが・・・

辛さの度合いで言うと、心臓手術でICUから一般病棟に戻った最初の日くらいの辛さ。体が動かせず、ベッド上で寝たきりで背中が痛い。麻酔のせいなのか、お腹が異常にムカムカするのも辛かった。周期的にムカムカ感が襲ってくるので、そのピークになるとお腹が熱くなり気分は最悪で、眠ろうと思っても眠れない。37度半ばの発熱があり頭痛もする。

夕方までそんな感じで苦しみながらベッドでただジッとしている。時間と共にお腹の切った部分の創が痛み始める。我慢するのが良いのかと結構頑張っていた。

担当の看護師さんが、「そろそろ痛み止め入れましょうか?」と、耐えるのが辛くなったタイミングで聞いてきたので、「はい」と頷いて返事した。その看護師さんが、これまた良いタイミングで、「ベッドを少し起こしてみましょうか?」と、パラマウントの電動ベッドの角度を2回に分けて少しづつ立てて起こしてくれた。それまで寝たきりで辛かった背中やお尻や腰への負担が減って気分がかなり良くなった。熱が出てくるとすかさずアイスノンを持ってきてくれた。この看護師さん、患者が言いたいこと、やって欲しいことを丁度良い絶妙なタイミングで先回りして行動してくれた。とても素晴らしい!


(見舞い客撮影)

HCUは10床くらいあるようだ。カーテンがかかっているので隣のベッドの様子は見れないが声の感じや会話からすると周辺の患者はご老人ばかりのようだ。耳が遠い方が多いので、それらの見舞客の声を大きくて煩い。また、結構我儘なご老人が多い。医者には、「先生よくしてくれました」とペコペコしているが、看護師には態度を変えて我儘加減を振り回しているような感じ。ナースコールは頻発しているし。皆さんがそうではないが、尊敬に値する強いご老人という感じの方の存在は残念ながら今回は感じられなかった。そんな我儘な患者にも気持ち良く対応している看護師さん達はやはり素晴らしい!


(見舞い客撮影)

勇患列伝の強い患者達のイメージを思い出しながら、自分の体力の回復を待った。心臓手術後と同様に、例え1分でも時間が経つ毎に回復の度合いが進行するのが実感として分かる。しかし、手術当日の夜には、ほんとにこんな体で予定されている明日の午前中の退院ができるのだろうかと真剣に思っていた。

18時頃、夕食。美味しい。3分の2くらい食べる。塩シャケ、ごぼうのキンピラや野菜の炒め物に白い普通のご飯。

バイアスピリン以外の心臓の薬はここから服用を再開。加えて、痛み止めのロキソプロフェン錠60mgと胃薬のムコスタ錠100mgが4日分処方された。

19時前にお見舞い客が来院。回復途中だが、この頃はまだ辛かったなぁ。


(見舞い客撮影)

22時消灯らしいが、早めに睡魔がやってきた。普段仰向けではなくて体を横に向けて寝ているが、今日はその姿勢が取れないので辛い。周りの爺さん婆さん患者達も静かになってきた。

足に血栓が出来て血管に飛ぶのを防止する為に足を締め付ける靴下を履き、フットマッサージ機のようなものが術中からずっと両足に装着されて動いている。周期的に圧力がかかって片足づつ締め上げる感じ。これは、一晩中装着が続いた。

確かICUは24時間消灯がなかったと記憶しているが、HCUはそこそこ照明を落としてくれる。夜中は1時間毎くらいに目が覚めるが、まずます眠ることができた。

2012.11.16
手術翌日の朝、6時前に眼が覚める。点滴液自体は昨晩で終わっていたが、念の為、針だけ腕に刺したまま留置されていた。その点滴針を外し、心電図も外し、血圧測定用に腕に巻いてあったパッドを外し、最後に、尿管を看護師さんに勢いよくパッと抜いてもらう。

看護師さんの指示で、ベッドから立ち上がってみる。ベッドから立ち上がる為に左足をベッドから下ろす際にお腹の創の痛みが神経に走る。これは筋肉痛の強烈版というイメージ。

だが、無事に立ち上がれば、問題なくスタスタと歩ける。15m程歩いて洗面所で歯磨きをした。



8時前に朝食。お腹が空いた。完食。暖かいパンが2ヶ、ヨーグルトと野菜シチュー。よく病院食はまずいと言われているが、私の経験んではどこの病院の食事も美味しい。但し長い日数、これを食べ続けると飽きるのは前回の入院で経験済み。

パンをかじっているその時に、執刀医の先生がベッドに様子を診にやって来る。術後は炎症反応で熱がでるが、その熱が何日も続くようだと埋め込んだ人工物(メッシュのシート)にバイ菌が着く可能性があるので注意とのこと。(心臓手術の時の弁輪と同じだ。)重たいものを持ったり、くしゃみをしたりという腹圧のかかる行為はしばらく避けるようにして下さいとのこと。車の運転も結構お腹の力を使うので止めた方が良いらしい。

9時過ぎ、執刀医と研修医を含めた外科医師団が私のベッドの周りにやってきた。創口の圧迫用に貼り付けていた大きなテープを剥がして創の様子を観察し始めた。問題はなさそうだ。創部に透明の薄いテープを張り付ける。そして、「今日、退院しましょう」と言ってもらい、退院決定。次回の外来診察日程を術後4日目と2週間後に決める。

ここまで来ると体の自由がかなり効くようになった。HCUの外にある一般病棟のトイレまで歩いて行く。朝まで入っていた尿管の影響なのか尿を出すと少し痛い。そしてそのままデールームへ。10階からの都会の景色はなかなか素晴らしい。天気も良くてサンルーム的なデールームは温室のようだった。この病院は、今年6月に別の敷地から移転してきて造られた新しいビル。フロア間の移動がエレベーターのみ(患者は階段で移動できない)というのがちょっと課題だが、ガサガサした雰囲気がなくて、とてもきれいな病院だった。

10時ごろ退院。普段着に着替えて、2階受付で会計。5万円の預かり金を返金してもらい、治療費・入院費の全額をクレジットカードで支払った。3割自己負担で77,220円。心臓手術に比べたら金額は思ったより安かった。無事に手術してもらい、高度な術後ケアをしてもらって、こんな金額で本当に良いのかと思った。


(見舞い客撮影)

車の助手席に座り、家まで帰る。創はそれほど痛まない。

剃毛は、心臓手術の時は、前日に自分でバリカンを用いて剃った。最近は心臓手術でも自分で剃らずに、麻酔中に剃られていて、術後、「あっ、無い!」という話を数人の仲間から聞いたことがある。今回の鼠径(そけい)ヘルニア手術では、病院から剃ってきて下さいという指示もなかったし、術前の意識がある時には剃毛を行っていない。術後、家で術部を見てみると、剃る必要のある部分は手術台の上で剃られていたようだ。

手術翌日になると体はほぼ回復した。日中は本を読んだり、椅子でうたた寝できるようになった。夕方前になると、子供たちが学校から帰宅。一日ぶりの父親の顔を見に来る。こちらにとっては長かったような短かったような不思議な感覚の時の流れであったが、子供たちは何があったのか理解できずあっけらかんとしている。心臓手術の時もそうだが、患者本人と周りの人間との間には、時間の流れや治療の旅をしてきた体験から得られる感覚に大きな隔たりがある。これは同じような手術を経験した者同士でないと理解し合えないもののようだ。

夜、防水テープを創部のテープの上に二重に貼って水が浸みこまないようにしてシャワーを浴びた。

術後ベッドで動けなくて、背中やお尻にあせもが出来てしまった。それが痒い。痛みよりは痒みの方が辛い。市販薬を塗ってようやく痒みも収まり落ち着くことができた。

2012.11.18
時間毎に回復は続く。術後3日目の今日は、創の痛みも無く、歩いたり座ったりするのもほぼ問題ない。お陰さまで普段通りに体を動かせるようになった。

これからの人生において、誰にどんな病気が襲ってきても全く不思議でない。そうなった時に、病気を悲観的に捉えるのではなくて、前向きに理解して立ち向かっていくしかない。所有するモノでもそうだが、自分の体を大切に思い、大事に扱っていればそう簡単に壊れて無くなってしまうものではない。「強い患者」という意識や精神面の心構えを維持し続けることも大事なことだ。改めて色々なことを考えさせてくれた今回の鼠径(そけい)ヘルニア手術体験であったと思う。

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鼠径(そけい)ヘルニア手術体験記 その1

心臓手術とは関係ないのだが、この度、鼠径(そけい)ヘルニア手術を受けることになってしまった。足の付け根部分から腸が飛び出してくる病気。いわゆる、脱腸。40代以降の男性に多いらしい。まさにドンピシャ。病気は突然やってくる理不尽で不公平なもの。それはもう十分理解している。だったらその治療さえも楽しむしかない。治療に向けての準備、手術から回復の過程や心境を心臓手術の体験にも絡めて記したいと思う。

2012.10.19
左足の付け根部分にプクっとした卵大の膨らみを発見したのは、夜、お風呂に入る前の脱衣場でのこと。まさに「なんだ、こりゃ!」状態。湯船で、手で膨らんでいる部分をゆっくり押すとへっ込んだ。気のせいかと思ったが、立ち上がるとやはり間違いなく大きな膨らみがある。

2012.10.20
翌朝、川崎幸クリニックへ電話してアポを取る。受付に症状を伝えるが、該当の診療科が分からないとのことでまずは皮膚科で診てもらうことに。1時間後にはクリニックのソファに座っていた。皮膚科の先生が患部を見た瞬間、「これはヘルニアですね」と一発診断。直ぐに外科にカルテが回される。数十分後、外科の外来診察を受け、鼠径(そけい)ヘルニアの診断確定。治すには手術が必要な旨、伝えられる。その日は腹部CT検査を受けて帰宅。迅速な検査と診断の流れであった。

手術適応と宣言されたが、心臓手術の時と違って全く不安はない。唯一考えたのは、どこの病院で手術を受けるべきなのかという点。これは心臓手術を受ける時にそれなりに悩んで決めたプロセスが思い出されたもの。インターネットで調べると、案の定、沢山の情報サイトが現れる。情報があり過ぎて焦点が定まらないのも問題だと思った。

あまり悩んでも仕方ない。結果的に川崎幸クリニック系列の川崎幸病院で手術を受ける方向で良いと判断した。

2012.11.2
腹部エコー。時間は僅かに5分程で終了。心エコーはいつも15分程時間がかかるのでとてもあっけなかった。その後、外来診察。執刀医はどの先生になるのか尋ねたが、その時点ではまだどの医者が執刀するのか決定していないとの返事であった。だが、結果的にこの時の診察医が執刀医であった。そこで一泊二日の開腹手術を受けることで決定。鼠径(そけい)ヘルニアの手術は腹腔鏡を用いた場合、通常日帰りでも実施可能なようだ。私の場合は、過去に心臓手術を受けた経緯があることとバイアスピリンを飲んでいることが理由で開腹術をお勧めしますとのことであった。麻酔から完全に覚めたのを確認して手術の翌日退院というスケジュールになった。

術前検査、診察と手術の日程を決める。その日は、診察後、採血と採尿。

<日程>
10月19日 足の付け根に膨らみがある異常に気付く
10月20日 初診、腹部CT
11月2日  腹部エコー、採血、採尿、診察
11月5日  東京ハートセンター、南淵先生の外来
11月7日  胸部、腹部レントゲン、心エコー、診察
11月8日  麻酔科医との面談
11月15日 その日一番の手術
11月16日 退院予定

日程が決まり安心したのか、帰りに川崎の焼き鳥屋で久しぶりにアルコールを少し多目に飲む。

普段、バイアスピリンを毎日飲んでいる。南淵先生は、これはただの予防の為に処方しているだけだと仰っている。今回の鼠径(そけい)ヘルニアの手術を受けるにあたって、血液の凝固を妨げるバイアスピリンの服用を術前1週間止めて良いか心臓の病院に確認して下さいと言われた。「全然大丈夫だと思いますよ」と患者である私が医者に伝えるが、やはり一筆もらってきて欲しいようだ。

話は変わるが、最近読んだ小説の記述によると、竪穴式住居に住んでいた縄文時代の人の平均寿命は僅かに14~15才程度だったそうだ。乳児の死亡率が桁違いに高いことも平均値を下げている要因のようだ。20歳を無事に超えたら、集落の長老のような存在だったのかもしれない。今日の医療でこうしたかつては治せなかった病気も治せることで人類の寿命は伸びてきた一面がある。南淵先生の講演で、身近な細菌を洗い流す石鹸の発明が人類の寿命を大きく伸ばしたとも仰っていた。

弁膜症になって手術を受けるという選択肢がなければいつか心臓の機能が止まって死んでしまう。若しくはそれまでに別の病気や老衰で亡くなるのかもしれない。

今回私が患った鼠径(そけい)ヘルニアでも、治療せずに放っておくと、ヘルニア部を押しても体内に凹まなくなり、いずれ腸が正常に機能しなくなり、カントン(嵌頓)という危険な状態になるらしい。早めの手術が望ましいようだ。

2012.11.5
朝、8時半過ぎに東京ハートセンターの受付に電話。当日午後の南淵先生の外来アポを取得。突然のアポ取りにも小回りが効くこの心臓病専門病院の対応はありがたい。その日の外来患者は少なかった。予想通り、南淵先生はバイアスピリンを止めることは全く持って問題ないとの御説明。術前に南淵先生と深津さんのお顔を見ることができたのが一番嬉しかった。



診療情報提供書と前回の外来で受けた心エコーの検査結果を相手先の病院宛に頂いた。普通は封印された封筒に入った紹介状や情報提供書を患者が別の病院に運んで届けるのだが、誰だってこっそり封を開けて中身を読みたくなるのが心情。なぜならそこには自分の体についての情報が書かれているのだから。それを分かってか南淵先生はいつも病院間でやりとりする文書の類の内容を患者に確認させてくれ、患者用のコピーまで手渡してくれる。

暫くパソコンのキーボードをタタタッと叩いた後、プリントアウト。「これでいい?」と見せてくれた診療情報提供書に書かれた文章を診察室の中で読んだ時は、ユーモアが盛り込まれた南淵先生らしい文章だなとだけ思った。しかし、家に帰って再読して気持ちが変わった。ユーモアはもちろんだが、これを受け取ったヘルニアを手術する側の医者は、きっとこの患者の手術は気合をいれて絶対成功させなくてはいけないなと感じるような文章であるということに気付いた。ヘルニア手術する医者が患者の心臓のことを理由に下手な言い訳ができないプレッシャー状況に置いてくれた訳だ。これは南淵先生が自ら心臓手術を施した患者に対する最高のエールではなかろうか。南淵先生らしさが実に伝わってくるこの文章をブログで紹介しない訳にはいかない。

「4年前に当方で僧帽弁形成術を行い、経過良好です。僧帽弁の逆流は一切なく、また総じて心機能は良好です。この度貴殿のもとで腹部外科及至は鼠径部の手術治療が必要な状況と相成ったとのことですが、どのような外科手術においても鍋島氏の心臓機能には何ら支障はない事をここに明言させていただきます。また、現在の投薬は予防的な、いわばどうでもいい薬剤であるので、いかようにでもし休薬していただいて結構です。なにとぞよろしく御高診のほどお願いします。」



南淵先生の外来の翌日から薬を全部休薬。最初は、心臓の鼓動が強く感じられる感じがあったけど、3日目くらいからそれもなくなり、薬フリーの生活も体が軽やかでいいなと思った。(が、実際は高血圧になっていた。)

2012.11.7
心エコー、胸部、腹部レントゲン、肺活量の検査、心電図検査。心エコーは二人がかりで30分近くやっていた。結果は心機能は正常範囲内との診断。検査結果の詳細をプリントアウトしてもらう。診察結果を患者が要求したら躊躇なくコピーをくれる病院は安心できる。

2年程前、南淵先生が退職された直後の大和成和病院の検査診察で僧帽弁に2度の逆流を指摘され、「将来的に逆流が増えれば再手術ですね」とその時診て頂いた外科医に言われた。その後の東京ハートセンターでの心エコー検査でも確かに僧帽弁2度(Mild)の逆流状況。それでも南淵先生はこんな程度の逆流は僕にでもありますから全く問題なしとのいつものお言葉。それが、前回の東京ハートセンターでの心エコー検査では1度(Trivial)になっていた。2度から1度に下がった訳だ。そして、今回別の医療機関での心エコー検査でも1度(Slight)の検査結果。複数の病院で逆流1度の判断だったので検査結果への信頼感は増す。その日の体調や精神状態によってこの程度の検査結果はひょっとしたら微妙に変化するのかもしれない。逆流の度合いをレベル0~4の5段階で分けるそのボーダーラインでの判断も技師の気分次第なのかもしれない。逆流3度や4度が自然に1度に戻ることはないのかもしれないが、多少の逆流は気にする必要なしと実感。高気密のマンションではなくて、多少の隙間風も吹く日本家屋に住んでいるようなもの。その方が、湿気も防げて家が長持ちするかもね。ちょっと違うか・・・


(左が川崎の病院での心エコー検査結果。右が東京ハートセンターでの心エコー検査結果。)

ヘルニアの診察中、恐らく学生の頃は少しヤンキーやってたんじゃないかなと思わせる雰囲気の明るい性格の看護師さんが、「この患者さんバイアスピリン飲んでますよ~」と今日の外来のお偉そうな先生に耳打ち。先生曰く、「んっ?バイアスピリン?大丈夫だよ、○○を使うから、全然問題ないよ」とのこと。この言葉を聞いた時に、この医療機関で手術を受けることに大きな信頼感を得た。

世の中には、ワーファリンを飲んでいる患者には歯の治療をためらう歯科医が沢山いると聞いたことがある。「そんな歯医者の治療を受けるのは止めて、別の医者を探しなさい。ちゃんと治療できる医者が必ずいますから」と確か南淵先生のどれかの本に書いてあった。

患者がバイアスピリンごときの薬を飲んでいるだけで、外科の手術をためらうような外科医しかいない病院での手術は止めておきなさいということかもしれない。

私の手術の執刀医がどの医者になるのかは、残念ながら手術直前の会議まで決まらないようだ。逆に「希望の執刀医はいますか?」と聞かれたが、個人名が出てこなかったので「ヘルニアの執刀件数の多い先生にお願いします」とだけ伝える。ヘルニアの手術はチームで年間100件以上やっているから御心配なくとのこと。チームという言葉には実は少し引っかかる。責任逃れっぽいニュアンスを私は感じてしまうから。執刀医個人の技術と責任感を信頼したいのが患者なのだ。手術予定表には様々な消化器系外科手術が一日3件ほどづつ予定されていた。確かに毎日これだけ何かしらの外科手術していれば大丈夫かと思った。心臓手術を受けるなら、執刀医が誰だか分からずには絶対手術を受けないだろう。まともに心臓手術をできる心臓外科医は今、全国に30人程しかいないらしい。心臓手術のリスクは一般消化器系手術の6000倍もあると南淵先生がどこかで書いていた。ということは、今回私が受ける手術のリスクは心臓手術に比べたら6000分の1以下?

2012.11.8
最近、腹がキューと痛くなったりムカムカすることがある。特に長時間立っていると辛い。暫く前からそのような症状があったが、まさか今回の病気がその原因だとは思ってもいなかった。

夕方、麻酔科医と面談。全然問題なし。心臓手術に比べたら全身麻酔とは言ってもかなり楽そうだ。「気管内挿管はしますか?」という質問に対して「するかもしれないし、しないかもしれない」という曖昧な答え。状況次第なのだろう。手術は全身麻酔で1時間半から2時間くらいらしい。手術室の中で麻酔から覚めるそうだ。

南淵先生のホームページにある「勇患列伝」。その中のその1に書いてある鏑木(かぶらぎ)隆久さんのケースを再読した。勇気が湧いてくる。あまりにも強くて強すぎる患者、あの人の強さを思い出したらこんな手術くらい自分一人で乗り越えなくてはと気が引き締まる。

2012.11.14
手術前日。会社の仕事を手際良く片づけて、残りは上司と仲間に託す。
18時頃、夕食。暖かいほうとう。お腹に残りにくい食事にした。入院準備は完了。

手術当日以降の状況は続きで・・・

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プロフィール

Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の53歳男性。

2008年12月に40歳で心臓の僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)


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このブログは、私が心臓弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。手術を受けた時の描写は2008年12月の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

(元)心臓病仲間のアンケートを企画・回答集計しました(2018年秋)。これから心臓手術を受ける方にはとても参考になるデータだと思います。アンケート集計結果はこちらの記事へ

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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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