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まさかの失神! 術後のトラブル

最近、(元)心臓病仲間で、術後に不整脈が発生して救急搬送されただとか、一過性の脳梗塞になっただとか、諸々のトラブル発生の連絡をもらうことが多かった。でも、昨日までまさか自分が気を失って倒れるとは、想像だにしていなかった。



息子の小学校の卒業式が開催されたのが昨日。前の晩からどうも体調が優れない感覚があったのだが、朝起きていつも通り出かける準備を行う。

術後のフォローで服薬している薬は、ちょっと多めで次の通り。
 バイアスピリン錠100mg 1日1錠
 タケプロンカプセル 15mg 1日1カプセル
 アーチスト錠 10mg 1日1錠
 ワソラン錠40mg 1日3錠
 アロシトール錠 100mg 1日2錠
一週間分を曜日毎に保管できるケースに入れて、几帳面に飲み忘れなく、副作用も起こさずこの数年間飲み続けている。

ところが、朝8時、飲み忘れたと勘違いして、アーチスト錠10mgを1錠余分に(合計20mg)飲んでしまった。30分ほどすると脈が遅くなってるのに気づいた。腕で脈を図ると、普段80回/分の脈が50回/分ほどに落ちている。以前別の薬の処方を受けたときに、40回/分くらいまで下がったことがあり、その時はやや息苦しさがあったが時が経てば解決してくれた経験があったので、待てば治ると思い込んでいた。

朝9時、近所にある小学校に向かう。卒業式開始まで待合室で待つ。卒業式のプログラムを読んでいると、また脈の遅さが気になりだした。脈の強さもない。だが、脈が飛んではいない。9時45分ごろ、待合室から卒業式会場へ移動の案内が行われる。この頃、視界が狭くなりだし、椅子に座ってぼ~として回復を待つ。待合場所の最後の一人になったので、移動しなくてはと立ち上がると視界がテレビの砂嵐状態になる。フラフラと廊下に出たところで、記憶がなくなった。気が付いて目を開けると、仰向けに寝ている。自分の周りに数人の人が集まっている。倒れる前から、ひょっとしたらこれは倒れてもおかしくないなと意識していたためか、一番近くにいた学校の先生らしき方に、「僕、倒れましたか?」と問いかける。「担架を持ってきて!」「救急車呼んで!」といった声が周りでかかっている。
倒れるところを見ていた人の話によると、私の前にいた人に寄りかかるように前向きに倒れ込んだらしい。幸い頭は打たずにすんだようだ。

男性二人によって担架で学校の保健室に運ばれる。吐き気がするが何もでない。救急隊が到着。状況をみて、ストレッチャーに乗り換える。救急車の中に運ばれて、心電図、血圧などの検査開始。それと同時に、私が倒れた現場の目撃者の証言を集めている。話によると、どうやら倒れて記憶を失っていた時間は1分未満の極短時間であった模様。救急医療受け入れ体制のある川崎市立病院の救命センターに搬送される。救急車で運ばれるのは人生二度目。一度目は、高校生の時にバイクで交通事故を起こして意識喪失している間に運ばれたとき。

脈拍40。血圧60/40。徐脈性低血圧。通常時のそれぞれ半分の数値。手足は氷のように冷たい。名前や生年月日、病歴などを聞かれる。脳がダメージを受けていないか確認するために、「今日の日付は言えますか?」と聞かれたが、日付を思い出せない。ショックのせいで思い出せないのではなくて、誰でも普段とっさに今日が何日だったか覚えていないことがあると思うが、それであるという説明をする気力がないので日付を言うのをあきらめる。血圧を上げる為か、足の下に枕のようなものを置いていた。

10分ほどで、病院に到着。救命処置室にストレッチャーで運ばれる。ここからは、TVドラマにある救命対応そのもの。採血、心電図、酸素飽和度(サチュレーション)、エコー、レントゲン撮影などの検査を迅速に行いながら、点滴を早急に行うために、点滴管を右手に2本設けている。血圧低下のため、血管が委縮しており針を刺すのが難しそう。同時に、名前、生年月日から始まり、病歴や倒れるまでの状況などを質問される。心臓手術した病院と日付や、飲んでいる薬の名前などそういう状況下でも案外冷静にスラスラと答えることができた。朝、アーチスト錠を1錠多く飲んだことが原因ではないかと自分で思っていたため、そのことも伝える。

検査の進行と共に、担当の医師が状況を逐一説明してくれる。心電図の波形が正常ではないらしい。ただ、その正常でない波形が原因で失神したのか、数年前の心臓手術以降継続的にそういう波形を示していたのかがその場で分からない。それを聞いて、心電図と心エコーならば今週受けたばかりで稲波・脊椎関節病院にカルテがあるからと伝え、財布の中にいれてあった稲波病院の診察券を渡して、データ提供の依頼をしてもらった。稲波・脊椎関節病院の対応は早く、しばらくすると、今週撮った検査データがファックスで送られてきた。それを見た救命センターの先生が明るい顔で、「倒れる前も同じ波形を示しているので、リスクは減りましたね」とのこと。点滴のお蔭で、遅かった脈拍も低かった血圧も徐々に回復し始めている。

救命センターの処置室には、ピーク時には10人ほどのスタッフの方がいただろうか。心臓手術を大和成和病院で受けたという経歴を聞いたスタッフの方が、「あの病院に体の大きな有名な先生がいたよね~、患者に手術のビデオを配っているとか」というスタッフ間の話が聞こえてくる。処置を受けている私が「それは南淵先生ですよ」と教えてあげる。「そうそう、南淵先生だわ。今は別の病院にいらっしゃるんですよね。ビデオはもらいましたか?見ました?」なんている質問が繰り広げられて、緊急性のある空気が和んだ。

処置を担当してくれた田中先生のところに、外線で電話が入ってきた。私の倒れた状況と、心電図の所見、アーチスト錠飲み過ぎの件などが伝えられた。電話の相手から、心臓手術後脈が速くて心臓の動きを抑える系統の薬を処方していることや術後の心電図の検査結果などについて説明を受けられたようだ。

電話が終わり、田中先生が私に向かって、「南淵先生からの電話でした。優しい先生ですね」と伝えてくれた。稲波・脊椎関節病院から南淵先生に検査データ提供の承諾を得る為に連絡が行ったのだろう。そして、南淵先生は直ぐに救命センターの医師に電話をかけてきたらしい。(あとから知ったところによると、稲波・脊椎関節病院の看護師さんから深津さんあてに電話が入り、驚いた深津さんが南淵先生に直ぐに連絡されたとのこと。深津さんは、心臓はきっと大丈夫と信じていてくれたらしい)。南淵先生は、「今週外来で元気に会ったばかりなのに、何が起こった?」と心配されたことだろう。迅速な連絡に涙が出てくる。

12時半、処置室から、9階救命センター救急科の病棟に移される。ストレッチャーに乗って、天井が動く様子を見ながら病院の廊下を移動するのは手術室に向かった時の記憶に相似する。ここで処置室でお世話になった先生方とはお別れ。ありがとうございました。

ナースステーションに近い3人部屋。意識ははっきりしているが、心電図、点滴、サチュレーションの管や線があり、ベッドから立ち上がることも禁止された状態だ。看護師さんはどなたも元気一杯でお仕事されていて好感が持てる。

16時ごろから微熱。37度8分。頭がぼ~とする感じ。

18時に夕食。久しぶりの病院食。美味しかった~。朝昼食べてなかったからかもしれないが、とにかくご飯を頂ける喜び一杯のありがたい食事。

余談だが、建築家の宮脇檀さんは、入院されていた時、「普段から、死ぬまでに食べられる食事の回数あとウン万回なんて数えていて、一食たりとも不味いものはたべたくないと主張していた」「テーブルの上にはきちんとリネンを敷き、家から持ち込んだカトラリーや食器を使っていた」とのこと。(『父の椅子男の椅子』 宮脇彩著 P142)
もし将来、長期入院するようなことがあればこの文章を思い出して私も真似するかもしれない。

食事後、トイレまでの歩行許可が降りる。点滴を携えてトイレへ。歯磨きも終えて、早々と寝るだけ状態。いつの間にかうつらうつら。

救命センターの病棟なので、同室の患者さんはどなたも意識を失って倒れたというような方々ばかり。夜中、同室の患者さんが騒いでいる。看護師さん数人で対応。こういう患者さんにはどういう対応をされるのかと、妨害された睡眠の不満を興味ありげに聞き耳を立てて人間観察に転嫁する。すると、師長さんらしき優しい顔の看護師さんが、「ちょっと暴れちゃっている患者さんがいてうるさいでしょうから、別の部屋に移動しましょう」と気遣って頂き、夜中の部屋移動。今度の部屋は4人部屋に一人だけ。9階窓側のベッドから川崎市内の夜景が見える。高層ホテルの一室で過ごしているかのような錯覚。お蔭さまで朝まで熟睡。

7時、血圧測定、検温。微熱は下がっていた。

8時、朝食。ごはん、味噌汁とおかずに納豆。病院食は最初のうちは何食べても美味しいんだよなぁ

10時、前日の薬の影響はすっかり抜けて、退院許可が下りる。

12時、昼食。パン2つとシチュー。

13時、無事退院。


病名: 急性薬物中毒(アーチスト疑い)
症状: 失神

今回のトラブルの原因は、普段服用しているアーチスト錠を間違えて倍量飲んでしまったこと。アーチストはとても効果の出やすい、そういう意味では良い薬で、だけど20mgも一回に飲むと普通は大変な状況になると今日診てくれた先生が仰っていた。加えて、先週来の仕事のストレスやイマイチすぐれなかった体調の悪さも薬の影響を増大させたのかもしれない。

あなどるなかれ、服薬は決められたとおりに。ワーファリンはそういう訳にいかないが、予防的な薬であれば飲んだか飲んでいないか分からなくなったときは、あえて飲まない方がベターかもしれない。

脈が遅くなり息苦しくなる兆候が見えたら、要注意。腕の脈が力弱ければ、血圧低下の可能性あり。視野に異常(砂嵐など)が見えたら倒れる寸前。思ったのだが、血圧低下時、意識を失って倒れるということは、心臓と頭が平行になることで頭部への血流を本能的に保とうとしているのかもしれない。倒れるなと予感したら、身体を横にして頭を下げるのがよいかも。

普段から、自分の腕で脈の回数や血圧の強さを測る癖をつけておくと良い。正常時の大凡の状態が把握できていれば、異常時の予兆を察知しやすくなる。必ずしも血圧計などの専用の機械を買って厳密に測らなくても良い。異常時に手元にそれらの機械があるとは限らないので。不整脈も、自分で不整脈が起こっているかどうか判断できると良い。私の場合は脈が飛ぶ不整脈が起これば心臓の感覚で自覚できる。しかし、不整脈と動悸の区別がつかない方が多い。不整脈発生の瞬間に医師や看護師に、これが不整脈だと一度指摘してもらえると、経験として自覚できるようになる。ちなみに、徐脈や頻脈も実は不整脈の一種なんですね。

心臓手術を経験したり、このブログを読まれているような方々は、比較的敏感に自分の身体に発生する不具合を察知できると思う。何か感じたら、無理をせず、横たわるなど安静にする。また、いつでも救急車を呼んでもらえるように、できるだけ周りに人がいるところにいることも大事だと思った。

今回は記憶定かに自ら状況を詳しく説明することができたのでよかった。しかし、そうではない状況下を想定して、自分の病歴、服薬している薬のリスト、カルテのある病院のリストなどを紙に書いて携帯するのも、救急隊の判断に役立たせるために有効だと思われる。

倒れた現場の小学校関係者の方々、救急隊の方々、救命センターで対応して頂いたスタッフの皆様をはじめ対応して下さった皆様、どうもありがとうございました。服薬ミスという自己の行動の誤りから招いてしまったトラブルで周りに迷惑をかけてしまったことを反省すると共に、迅速に対応して頂いた皆様の行動に感謝の気持ち一杯です。

実はこの日、この救命センターにテレビの取材が入っていたという話を看護師さんから聞きました。3/22のお昼頃、ワイドスクランブルで放映されるとのこと。カメラは見なかったのでまさか私が映っているとは思いませんが、救命センターに興味のある方はみてください。

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プロフィール

Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の53歳男性。

2008年12月に40歳で心臓の僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)


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このブログは、私が心臓弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。手術を受けた時の描写は2008年12月の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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