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40代未満の若い患者が外来に行く気持ち

先日の外来で気付いたことです。

クリニックに来ていた周りの患者を観察したところ、皆さん見た目は私より年上の方ばかり。私ももう決してそれほど若い訳ではないのですが、それでも多分私が一番低い年齢の患者だったのではないかという雰囲気でした。

若くして心臓を患う方がいらっしゃいます。先天性心疾患で生まれて間もなく心臓手術を受ける方や、小学校が始める前の幼児の頃に受ける方。10代、20代は学校があるので比較的心臓手術を受ける方は少ないようです。この時期はまだ若さで心臓も活力を保ってくれているのかもしれません。それでも手術適応状態となれば夏休みなどを利用して手術を受けざるを得ません。後天性で手術を受ける方は、40代~60代に多いようです。でも私が入院した時に病棟で見かける方の平均年齢はもっと上の70代(?)という感じでした。

外来で見かける方に比較的年配の方が多い状況の中で、若い人が外来に通うのは大きな抵抗があると想像されます。親に付き添ってもらって外来に行ったら、患者本人の方が親の通院の付き添いでやってきたのかと勘違いされることでしょう。自分はまだ若いのにどうしてこの年寄りの人達と一緒の環境(病院)に居なくてはならないのか?ちょっと失礼な表現だけど本音としてはこんなところではないでしょうか。

その為に、病院に行く機会を失し、心臓病を放置してしまい、ガイドライン的な手術適応時期を逃してしまったり、心臓のパワーが落ちてしまった状態で手術に至るという結果になる若い方(40歳未満の方をイメージ)も少なくない気がするのです。

健康診断で心臓の精密検査を指摘されたり、風邪などで受診した際に心雑音を指摘されたり、気になる自覚症状がもし現れているならば、年齢に関わらず積極的に循環器を専門に診てくれる医者の診察を受けてみるべきだと思います。

相対的に数は少ないのかもしれませんが、このブログを見て連絡をくれた10代、20代、30代の方は何人もいます。集まりの常連メンバーにも30代の方がいます。

心臓病(特に弁膜症)は、放置しておいて自然に治るものでは残念ながらありません。適切な時期に適切な治療が必要です。その時期の見極めが大事です。そうすれば、心臓の病とは言え、一過性のケガの一種みたいなものと捉えることができる場合も多いようです。

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人の心の変化  その2

9月1日のこのブログ記事でご紹介した東京新聞掲載の池田省三さんの「ステージ4 がんと生きる」の続編。

前回のエッセーで、「「人間は致死率100%の存在なのだ」と受容した。すると、時の流れが穏やかになり、それと同時に気分がゆったりとして、穏やかになれた」という池田省三さんのお気持ちが伝えられていた。それに対して、末期がんを告知された別の方が同じような体験をするのかどうか、池田さん自身も強い関心を持っておられたようだ。

その池田さんの手元に新聞記事を読まれて同感された方からお手紙が多数届いたとのこと。その紹介記事が2012年9月8日付け東京新聞朝刊に続編として発表されているので改めてご紹介したい。

「私も死を意識して、見つめ直したのは自分の人生」「死はすなわち、生を振り返ることなのかもしれない」「見える風景が変わり、光を感じた」と池田さんは思い感じられた。

池田さんに届いたお手紙の中には、「時が穏やかに・・・とても一日が長く感じると主人が言い出した」、「自分自身がとても穏やかでいられる。それが不思議だとも申しておりました」と、池田さんと同じ感覚を得られた方のお話があったり、亡くなられるひと月半前に上高地にご夫婦で出かけられた方の場合、「何だかこのあたりのものが、すごくキラキラとみえるんだ。日の光で光っているんじゃないんだけど」「今、自然のものが全て美しく見える。不思議だ」と言い出されたとのこと。 「前向きにすべてを受け入れて生きています」「がんと共生して行くことへの勇気をいただきました」という方もいらっしゃる。

ここからは、私の考察。

がんと心臓病では、患者の心境は大きく異なると私は思っている。心臓病は前にも書いたが、多くの場合、適切な時期に適切な治療を行えば健常者として平均寿命をまっとうすることができる病気だからだ。病気を受け入れて、前向きに生きていくことがより容易な病気なのかもしれない。我々の(元)心臓病仲間の皆さんから、「時の流れが穏やかにゆっくりとなったのを感じた」というコメントは聞かれなかった。それは、心臓病が心臓という人の生命の源に関わるとても大きな病気であるにも関わらず、流れている時の先に対して希望を持つことが比較的容易であり、危機の状況でも自身が死を本当に意識することは少ないことからくる当然の結果だったのだろうか。弁膜症で心臓手術適応を指摘されたが自覚症状がないような方には特に当てはまるのだろう。だからといって、心臓病を甘く考えてよい病気では決してない。心筋梗塞や急性大動脈解離で強烈な胸の痛みに襲われ救急車で病院に担ぎ込まれ緊急手術に至る方もいる。また何度も再手術を受けられる方もいる。そこから生還された方は一度や二度、死をより身近に経験されていることと思う。

「心臓手術を受けたら、目に見える世界が異なってみえる」「人の顔が違ってみえる」「豚の生体弁を入れると聞いていたから、手術中、ブタさんの夢を見た!」「術後、自分の生体弁は牛の心幕のものだと聞いた時から、ブタさんの夢は見なくなった!」、とは、マダムアリスさんの3度目の心臓手術時の体験である。

心臓手術を受けると、体に色々な変化が起こるのは確かだ。何が起こるのかは人によって異なるが、心臓手術経験者同士でそれを語り合うのも楽しいものだ。「(元)心臓病仲間の集まりで、同病の方同士が寄り添わないといけないくらい心臓手術を受けて生きていくということは辛いことですか?」と先日、質問を受けた。そんなことはない。(元)心臓病仲間が交流を持つのは、貴重な体験をお互いに自慢したり、不思議と気が合うのがどこか居心地が良いから集まっているのだと思う。

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人の心の変化

Yomi Dr.でもお馴染み読売新聞は、医療関係の記事に熱心だという印象を持っている。私が心臓手術を受ける病院選びの参考にした病院毎の実績症例数の生々しい記事を載せていたのも読売新聞だ。

でも今、我が家では東京新聞を愛読している。原発反対や昨今の政治に対する連日の報道の方針は、他の新聞各紙とはちょっと異なっている。南淵先生のエッセーもたまに載る。無駄な織り込み広告も少なく、購読料も安いので好きな新聞だ。

2012年7月17日付けの東京新聞朝刊に、池田省三さんの「がんと生きる ステージ4」というエッセーが載っていた。「告知後の謎」という、興味を引く内容だったので少し紹介したい。

人は誰しも年を重ねると日々の時の流れが速く感じるようになる。小学生の頃の一日と、43歳の今の私の一日では、その時間の長さの感じ方が全然違う気がする。長く生きれば生きるほど、人の一生に占める対象の時間が相対的に短くなるから、そう感じるのだと言われている。

ところが、池田省三さんは、末期の大腸がんの告知受けて余命が限られていると自らが悟った瞬間から、時間が緩やかに流れ始めたそうだ。また、気分がゆったりとして、怒りや悲しみをあまり感じなくなったとのこと。世の中で自分のことを批判する人がいても気にならず腹が立たない。モノが欲しいという気持ちもなくなったそうだ。人は誰にも、見るとつい衝動買いしてしまうような、そして、購買欲が満たされるとそのモノに対する意識が薄れいずれ後悔してしまうようなものがあると思う。私の場合は、カメラの機材関係だろうか・・・(最近はうまく自己管理しています、笑)。だが、余命僅かと悟ると、そういった購買欲も無くなってしまったそうだ。そして、そうした変化は決して心持ち悪いものではなく、むしろ、心豊かになるような、喜ばしい変化だったそうだ。

ところが、抗がん剤の効果で病状が安定し、「まだ、死なないな」と思ったら、時の流れが再び元の早さに戻り始め、気持ちの持ち方や購買欲についても同じく以前同様の状態に戻ってしまったとのこと。

心臓病を告知されても、直ぐに、自分の余命を考える人は少ないと思う。多くの心臓病は、適切な治療を適切な時期に行えば、健常者同様の体に戻すことができるからだ。最も、心臓手術のリスクは、その他の一般外科手術に比べるとはるかに高い。最悪の場合、手術で命を落とす可能性もある。そう認識した時に、果たして、その患者は時の流れをどう感じるのだろうか?気持ちの持ち方も変わるのだろうか?物質に満たされたい、モノを所有したいという欲望は変化するのだろうか?視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚に変化は発生するのだろうか?

私の例でいうと、心臓病であることを知ってから心臓手術を受けるまでは、それまでの気持ちや行動となんら変化は無かったと思う。術前に自分の余命を認識することがなかったので当然かもしれない。でも、心臓手術を受けた後は、何かしらの変化があったのは確かだ。怖いものが無くなったというか、大胆になったというか、本能の赴くままに生きることができるようになったというか・・・うまく表現はできないが心臓手術後の精神面での変化は確実にあった。術後3年半を過ぎて、その気持ちが術前の状態に戻りつつある気もしているが、100%戻ってしまった訳ではない。時と共に手術創は薄れてきれいになっても、心臓手術を受けたという経験は時では消せない創として自分の体に刻みこまれているからだ。

(元)心臓病仲間の皆さんはどうですか?

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術後3年半の体の調子

過去の記事に、術前術後の体調の比較を書いた。術後3年半を過ぎて改めて自分の体の状態を客観的に評価してみた。

(1)子供の頃から虫歯はあって継続的に歯医者に通っていたが、前回歯医者で治療したのは5年前。術後は歯医者要らず。毎年、会社の健康診断の際に歯科検診があるのだが、虫歯はなく歯石もほとんどついていない、歯磨きも丁寧に出来ていますと褒めてもらえた。ちなみに、歯磨きは食後できるだけ早く、朝、昼、晩の最低3回、時に4回丁寧に行っている。電動歯ブラシは使っていない。歯と歯茎の境目を丁寧にブラッシングしたり、一本一本の歯を10回づつ磨くことを意識したりしている。また一日一回は歯間ブラシを使用。それでも取れていない汚れがあるので、楊枝のようなもの(金属製の細長いもの)でそっと掃除。やりすぎは歯を痛めるので要注意。術前はよく歯茎から出血したり冷たい水を口に含むと痛かったりしたが、術後はそういう不具合は全くなくなった。
(2)術前は体が疲れると良く大量の鼻血が出たが、術後は一回もそういうことがない。バイアスピリンを飲んでいるから血液サラサラで出血すると止まりにくいと言われているが、そもそも出血しなくなったので問題がない。
(3)血液検査は、3か月毎の外来と年1回の会社の健康診断で年間5回も実施。中性脂肪がやや高めだったが、ここ2年は脂質、血糖、コレステロールの全てオールA。尿酸値だけは以前から高く術前から服薬を続けている。アロシトール200mgを一日一回。その結果、検査値は常に正常値を維持している。血圧も以前はかなり高かった。術前から降圧剤を服用。術後は、心臓の動きが元気過ぎたので働きを抑えるアーチストやワソランを服用していて、それらが血圧を下げてくれている為なのか、現在は120/80以下。
(4)ウエストサイズは、手術を受けた頃は恐らく80cmくらい。今は71cmになった。BMIはやせ気味と表示されるが、現在の体重が私にはベストの状態だと感じている。
(5)心電図検査をすると必ず出るのが、完全右脚ブロック。これは心臓手術で心臓の壁を開けるのにメスを入れた際に何かしらの繊維か何かが切られた結果だと本で読んだ記憶がある。心臓の働きには特に問題ないようなので無視している。
(6)術前は多少あった不整脈も今は全くない。そういえば最近は不整脈が無いなぁと思い出して気付いたくらいだ。ちなみに、周りに話を聞くと、不整脈とはどのような症状なのか分からない人が結構多い。これが不整脈だと実際に経験しないと、「脈が飛ぶのが不整脈だ」と言われても実感を得ることができないのだ。
(7)仰向けに寝れない状態が術前数年から続いていた。術後は胸骨をかばう必要性もあるので仰向けに寝ざるを得なかったが、その後再び仰向けに寝るのが何故か困難になった。寝入る際は横向きでしか寝れないが、夜中や朝方、目が覚めると結局仰向けに寝ていることが多いので単なる癖かなと思っている。
(8)右方向の首の痛みは術前からあったのだが、術後はかなり改善した。
(9)便秘も下痢もなく、お腹の調子はすこぶる快調。
(10)いつでもどこでも比較的容易に寝ることができる性格だが、最近、夜、美味しいコーヒーを飲むと眠れないことがあった。カフェインに敏感になったのか?
(11)早起きが辛くなくなった。これは年のせいだろうか?
(12)切羽詰まった時や、焦ったときでも落ち着いてゆっくり行動をとることができるようになった。それが副交感神経に作用し体をうまくコントロールしている気がする。

ところで、3度目の手術後、早くも約1カ月になるマダムアリスさん。やはり色々な体の変化が起きているようだ。こんなメールが今日届いた。
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後、皆の顔が今までと全く別人に見える人と、前以上に、綺麗に整って見える人と…不思議なくらい違いがあるんだけれど…( →_→)なんなんだろう…豚さんの弁が移植されたから!?まさかよね~???
心が清く、優しく、強く、響きやすくなったのは納得出来るけれど、見る目!?脳の発信角度が変わったの!?
受ける眼球が変わったの!?

本当に驚く変化なのよねっ、誰か弁置換した方で同じような体験者いるかなぁ~。
次回の集まりで、聞いてみ~ようd(⌒ー⌒)!

マダムアリス
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強い患者

患者さんは強い。

南淵先生のブログにある「勇患列伝」を読めば、心臓手術を受けるに至った患者さん達のエピソードが幾つも語られている。それは心臓外科医の視点で見た強い患者さんの在り様だ。

患者であった私の視点からも、この人はほんとに強い患者さんだなぁと感じる出来事があった。

私の入院中に出会ったとある方がその人である。その時は心臓の手術を受けるために同じ病院に入院されていたのだが、それまでにも何度か別の病気の手術も経験されてきたらしい。正に手術を受ける側のプロ。

入院生活や医者・看護師に対する対応が板についている。不安一杯で入院生活を始めた私に気さくに声をかけてくれたり、食事後の片づけの仕方などの手順を教えてもらったりして、とても頼りになる先輩患者であった。

なぜ、私がその方に患者としての強さを感じたのか?

実は一度だけ、その方が弱音を吐いたのだ。「こんなに病気ばかりして、どうして自分は生まれてきたのか分からない・・・」と。面と向かってその言葉を受け聞いた私には、その時、返してあげる言葉は出なかった。自分も心臓手術を受ける直前の不安な状態、他人のことをフォローしている余裕は全然なかった。

その唯一の正直な弱音の発言があったからなのか、逆にその方の普段のとても前向きな行動や言葉、容姿が患者としての強さを私にはとても印象的に見せつけていた。実は今でも当時のご様子が脳裏に浮かぶのである。

その方の受けられた手術は、大動脈瘤を大動脈弁に弁置換、僧帽弁を形成、同時にバイパスを2本繋ぐ大手術。実は、心臓の手術を受ける必要があると分かった時、同時に脳にも瘤があることが分かり、心臓を先に治すか、脳を先に治すかという選択もしなくてはならない状況だったそうだ。心臓を治された後、今度は、脳のカテーテル治療に向かわれた。

退院後、一度再会した。常に前向きで、生きていることをありがたく一日一日を大切にされているそのご様子は不変であった。

病気になることは理不尽なこと。しかし、それは、天によって決められた人生における原因と結果が結びついたもの。それを受け入れ、ポジティブに立ち向かうことのできる人はその後の結果をも良い方向に引き寄せることができるような気がする。

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プロフィール

Author: カムバックハート

カムバックハートブログバナー

カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の55歳男性。

2008年12月に40歳で心臓の僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)


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但し、私は医者やカウンセラーではないので医学的なご質問にはお答えできません。初めて連絡下さる方は簡単なプロフィールをお願い致します。

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お知らせ
このブログは、私が心臓弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。手術を受けた時の描写は2008年12月の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

(元)心臓病仲間のアンケートを企画・回答集計しました(2018年秋)。これから心臓手術を受ける方にはとても参考になるデータだと思います。アンケート集計結果はこちらの記事へ

コルコバード


南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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