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(元)心臓病仲間の手術体験 -ともちゃんの場合(その1)-

今年8月のこと。「家族には色々助けて貰ってはいるのですが、同じ病気と闘っている仲間がいれば、また違った意味で心の支えになるのではと思いご連絡差し上げた次第です」と書かれたメールを、まさにこれから大動脈弁の心臓手術を受けようとされていた”ともちゃん”からもらいました。術前の方から連絡頂いたら集まりで心臓手術経験仲間と語ろうではないかというモードに突入するのが我々のやり方、ということで、8月に開催した集まりでお会いすることになったのでした。

心臓手術の経験者は自分の経験を語りたいもの、だけど、家や会社の中では共感して聞いてくれる人がいない、となれば集まりでしゃべりまくって発散しよう、という仲間が多いように思います。また聞き役として自分に必要な術後の情報を得る方もいます。そのような環境の中に飛び込んできてくれた手術直前のともちゃんには、心臓病仲間からの手厚い語らいが覆いかぶさったのはご想像の通りです。

そして今回手術を終えて再会することができたともちゃんのすっきりした顔を見て、ともちゃんも術後の仲間になったんだと嬉しく感じた次第です。よく考えると、このようなプロセスでこれまで接してきた仲間が何人もいます。ほんの些細なきっかけが、人生で巡り会うことができるか出来ないかという運命を紙一重のところで左右しているのだなと実感させられます。

さて、前置きはこれくらいにして、術後間もない時間で書いて頂いた「ともちゃんの心臓手術体験記」を公開いたします。心臓病発覚の経緯とその時々での患者の心境が詳細に記されています。既に手術を経験された方は、自分の経験との比較で共感したり、いや自分とはかなり違うなと思ったり・・・術前の方にとっては、優等生的心臓手術のプロセスを経られたともちゃんの最新の体験談は、事前シミュレーションや悩みの解消に大いに役立つことと思います。長文ですので、その1とその2に分けて掲載いたします。

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ともちゃんの心臓手術体験記ーその1-

心臓病記録1

事の発端は2か月以上続く空咳に耐え切れず自宅近所の内科医を訪れた時でした。

毎年秋から冬にかけて空気が乾燥してくる時期になると風邪を引いたわけでもないのに咳が出始め、2、3か月治らない。人と会話をするのもままならないし咳止め薬を飲んでも一向に良くならない。

そう伝えると先生は「ではまず胸の音を聞かせてもらってもいいですか?」
聴診器を私の胸に当てじっと俯き加減に目を閉じて聞き耳を立てていたかと思うと

「心臓に雑音が聞こえますね。こりゃ弁膜症じゃないかな・・・」

咳についてはアレルギーの可能性が疑われ抗アレルギー薬を処方され、その後1週間ほどで治まったのでした。

その時私は「弁膜症」がどんな病気なのか全く知りませんでした。内科医がつぶやいたその単語をインターネットで検索してみると想像以上に怖いことが書かれています。
私は心配になり地元にある心臓病専門の病院で検査を受けることにしたのです。

その病院の循環器内科での診察結果は

『重度の大動脈弁閉鎖不全症』

手術を薦められ直ぐに同病院の心臓血管外科に通されました。

「なるべく早く手術をしたほうが良い。現在の医学では人工弁に置換するのが最良の対処法である。人工弁には機械弁と生体弁の2種類があり、それぞれにメリット・デメリットがある。次回はご家族と一緒に来てください。」

自覚症状として2年ほど前から動悸を感じてはいましたが、まさかこれ程大事になるとは夢にも思わなかったので悪い事態だという実感もないまま病院を後にしました。

自宅に戻り事の経緯を家族に説明し、皆が深刻な表情に変わるのを目の当たりにし、ようやくこれはただ事ではないということに気が付いたのです。

心臓病記録2

自分は重症の心臓病である。術前も術後もそう思ったことはあまりなかったと記憶しています。ただ、この手術は成功率が100%ではなく死亡リスクが伴うという認識はいつも頭の片隅にありました。術後も場合によっては血液抗凝固薬を生涯服用しなければならない等のハンデを背負う可能性があるのです。ですから手術の時期を見極めることや手術件数を多くこなし安定した実績を重ねている病院を選ぶことがとても重要であるということは自分は心臓病なんだと観念して認める以前から意識するようになっていました。

ちゃんと病院を選ぼう、納得して自分の命を預けることができるドクターを探そう、そう考え行き着いた先が私の場合、J大学附属病院A先生でした。

有名なドクター達の著書を何冊か読み、そのドクターの人柄や考え方を知った上で自分に合ったドクターを選ぶ。なんだかとても高飛車に聞こえますが現代は患者がドクターを選ぶ時代という風潮が広がりつつあります。自分の命を預けるわけですから、それくらいしてもいいのではないでしょうか。

こうして最初に受診した地元の病院には行かず平成29年12月J大学附属病院の循環器内科で検査を受けたわけですが、結果は中等度の大動脈弁閉鎖不全症で半年ごとの経過観察。正直に言うとそのとき物凄くホッとしました。病気が自然治癒することはないにせよ、このまま数年、もしくは十数年は手術を免れるのではないかという期待までしたのです。

心臓病記録3

半年後の定期検査までの半年間、それほど深刻に考え込むこともありませんでしたが病気のことを忘れる日は一日たりともありませんでした。このどっちつかずの半年間というのも自分にとっては必要な時間であったと手術を終えた今は思います。

手術の術式をどうするのか、機械弁か生体弁か、医療費、障害者手帳や障害年金のこと、初めてで分からないことが沢山あり、調べてもその全てがなんとなく解ったようなそうでないような・・

心臓病手術を経験した人々のブログも探し、片っ端から読み漁りました。
このとき出会ったのがカムバックハートさんのブログ『心臓手術体験記』です。ブログでカムバックハートさんのお顔を拝見したとき、なにか無視できない不思議な縁を感じたのを覚えています。

そうこうしているうちにあっという間に半年が経ち平成30年5月定期検査の日がやってきました。検査は採血、心電図、超音波検査。今回も大丈夫だろうと変な自信を抱きつつ結果を待ちました。
自分の名前が呼ばれ診察室に入るや否や循環器内科のM先生曰く「悪化していますね。なにか身体に無理をしましたか?そろそろ手術適用時期に入りましたよ。手術の前に検査入院して下さい。」

私は普段特にこれといった激しいスポーツをやるわけでもない普通の中年サラリーマンです。身体に無理をした記憶もありません。それでも私の心臓は半年前よりも拡大し左心室への血液の逆流度合いは確実に悪化していたのです。

心臓手術記録4

定期検査の翌月平成30年6月、J大学附属病院への検査入院を余儀なくされた私はそれでもまだ検査入院の結果次第では手術は先に延ばせるのではと高をくくっていました。検査入院は2泊3日で主な検査は経食道心臓超音波検査と心臓カテーテル検査。経食道心臓超音波検査は胃カメラよりもう少し太いスコープを口から食道へ入れるのです。心臓を食道側から観察することにより経胸超音波検査に比べ、より正確な診断ができるとのこと。私の大動脈弁は普通の人のそれと違い生まれつき2枚しかない二尖弁かもしれないと診断されていましたが、この経食道心臓超音波検査でその確率は更に高いことが解りました。この検査は非常に辛かったのを思い出します。また心臓を取り巻く冠動脈に詰まりがあると狭心症や心筋梗塞を起こす危険があるとのことで開胸して弁膜症の手術を行う患者はついでにここも検査し、異常があれば冠動脈バイパス術で治してしまうという狙いから心臓カテーテル検査を行いました。カテーテルは左手首の動脈から挿入したのですが、痛みは感じませんでした。但し検査終了後にカテーテルを挿入した手首の止血処置の圧迫痛には閉口しました。

よく考えてみればこれらの検査は弁膜症手術の要否を診断するためではなく手術をどのように行うかを検討するための検査であったわけです。今更手術を先延ばしにできるかもしれないなどと期待することは愚の骨頂と言わざるを得ません。

検査の結果、やはり今年中の手術が望ましい、もしここでやるなら心臓血管外科に紹介するし他でやるつもりなら紹介状を書くが細かい話は来週の心臓血管外科の外来を受診して欲しいと言われたのでした。

ところで私は物心ついてから入院というものをしたのはこれが初めてでしたが、この入院で感じたこと、それはドクターおよび看護師、そして清掃作業員の方々でさえ表情が明るくとにかく親切だったことです。それはこの後の手術入院でも同様で、この病院全体の明るく親切な対応にどれだけ助けられたことか分かりません。


心臓手術記録5

検査入院を終え翌週の外来を控え、私の心は揺れていました。本当にこの病院で手術をやってもらうべきかどうかまだ悩んでいたからです。最近は心臓手術に限りませんが低侵襲、つまり痛みが少なく快復が早い身体に優しい術式を売りにしている病院が多く、胸骨を切らずに脇腹肋骨の合間から心臓にアクセスするMICS手術に魅力を感じていました。

J大学附属病院では大動脈弁置換の場合、胸骨を切って心臓にアクセスするのが最も安全かつ確実であるという考えのようでした。しかしMICSによる骨を切らない手術は快復が早そうですし、なにより手術に対する恐怖感が少ないと感じていました。それにこの時はまだJ大学附属病院A先生に執刀してもらえるのかどうかも分からない状態だったのです。
検査入院を含め今までの検査は循環器内科にかかっていたわけでA先生のいる心臓血管外科は次の外来が初めてとなるからです。

自分の中で今後の方針がはっきりしないまま心臓血管外科外来の日が来てしまいました。診察室に入ると循環器内科から私の検査データを引き継いだY先生が待っていました。紳士的な雰囲気でどこかA先生に似ている感じがしました。

A先生にはお会いしたことはなかったのですが、Y先生と話すうちに自分の中の迷いが消えていくのが分かりました。はっきり理由は言えないのですが検査入院の時の雰囲気も含め、この病院は自分の肌に合っているという安心感がありました。私は思い切って訊いてみました。

「A先生に執刀をお願いできますか?」

「分かりました。A先生の予定を確認してみます。手術はいつ頃なら大丈夫ですか?」
「10月頃が良いのですが・・」

「では10月の8日に入院していただいて11日に手術ということにしましょうか。手術は胸骨を半分だけ切って心臓にアプローチする方法でよいですか?」

「はい、それでお願いします。」

今まであれやこれやと悩んでいたのは一体なんだったのかと思うほど事がすんなり決まってしまい拍子抜けしました。それと同時にもう悩まなくてもいいんだという安堵感に包まれました。胸骨を半分だけ切る・・それで安全で確実な手術が受けられるのですから。

つづく・・・・

執筆: ©ともちゃん(2018年11月)

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Secret

No title

おぉ、ともちゃんの体験記!
まだ手術したて、鮮度がいいですねw
半年とか1年とか経つとそこそこ元気になるんで、ドンドン忘れちゃいますからね~。

私も、どの先生にお願いするか悩んだ時に先生方の著書読みました!
手術件数がある程度以上っていうのは絶対だけど、その上で、
やっぱフィーリングっていうか、先生の人となりを多少でも知った上で決めたいですよね~!

お次は・・・

ゆきにゃん、

いつもコメントありがとう!
人一倍リアクションしてくれるので、いつも嬉しいです。

さて、次はゆきにゃんの体験記ですよ~

No title

ゆきにゃんさん

そうなんです、間もなく術後2ヶ月を迎えますが、もう日常の生活には何の不自由も感じなくなってきて、あの時の痛みや出来事を忘れかけています。体験記を残す事って大切ですね、カムバックハートさん、ありがとう!って感じです。
プロフィール

Author: カムバックハート

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カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の54歳男性。

2008年12月に40歳で心臓の僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)


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このブログは、私が心臓弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。手術を受けた時の描写は2008年12月の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

(元)心臓病仲間のアンケートを企画・回答集計しました(2018年秋)。これから心臓手術を受ける方にはとても参考になるデータだと思います。アンケート集計結果はこちらの記事へ

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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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