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(元)心臓病仲間の手術体験 -ともちゃんの場合(その2)-

ともちゃんの心臓手術体験記(その2)です。(その1を読まれていない方は、まずはこちらの記事へ)

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ともちゃんの心臓手術体験記ーその2-

心臓手術記録6

10月の手術入院までに手術時の輸血用に自分の血液を貯めておくことを命ぜられました。
400㏄を2回、合計800㏄の貯血です。1回目は7月に、2回目は手術直前の9月下旬に行いました。1回目の貯血分は手術まで期間が開いているため冷凍保存するのだそうです。
貯血はリクライニングシートに腰かけて背もたれを倒してじっと終わるのを待つのですがその間にいよいよ自分は本当に手術を受けるんだ、これは夢なんかではなく現実なんだという実感が湧いてきました。何とも言えない切ない気持ちになりました。

2回の貯血を終えるとあとはもう本番を待つだけです。毎日手術までの日数を数えながらやり残したことはないか頭を巡らせていました。無事手術が終わって退院してもしばらくは身体の自由は効かないはずですから、庭木の剪定をしたり年末にしかやらない換気扇の掃除や洗車など思いつくもの全てやりました。もしかしたらこれが最後のお勤めになるかもしれないなんてこともチラッと考えたりしながら。

ところで、この2回の貯血をする合間の8月に願ってもないチャンスが訪れたのです。以前からカムバックハートさんのブログ『心臓手術体験記』は定期的にチェックしていたのですが近々に(元)心臓病仲間の集まりを開催するとのこと。参加希望の意向を伝えたところ快く承諾してもらえたのです。「渡りに船」とは正にこのことを言うのだと思いました。

心臓手術記録7(本番)

10月8日(月)

嫌がってもその日は来ます。覚悟を決めて入院に必要な物を詰めたボストンバッグを肩にかけJ大学附属病院へ向かいます。緊張はしていたと思いますが手術は数日先でまだ日がありましたから、ちょっとした旅行気分でもありました。

入院手続きを終え病棟に到着するとナースステーションに行き看護師さんに挨拶し病室に案内してもらいます。4人部屋ですが1人あたりのスペースはとても広く、検査入院のときに利用した個室と大差ないなと感じました。しかも窓際でしたし病室は11階だったので眺望はとても良かった。こういうことは治療とは関係のないことですが幸先が良い気がして嬉しくなります。

入院初日は血圧測定や体温を測っただけで、点滴もせず昼食夕食を食べ夜景を見に来たようなものでした。

10月9日(火)~10月10日(水)

採血 心電図 レントゲン CAVI検査 冠動脈CT 頭部MRI トレッドミル ドクターより手術の説明

CAVI検査とは両腕、両足首に測定器をつけ動脈硬化の進行度を調べるものです。冠動脈CTは血管に造影剤を流しCTで撮影することで狭心症や心筋梗塞の進行度を調べます。また心臓手術の際に心臓内にあった血栓が体中に廻ったときに支障がないかを調べる意味もあるようです。私の場合どちらも全く問題なかったようです。
この日は看護師を目指すインターンの学生Uさんを付き添わせてもいいかと看護師長さんに頼まれたので快く承諾しました。退院まで私に付き添い様々なことを見学したり体験するとのことでした。手術の見学もするということは私の心臓を見ることになるんだなあ、と漠然と考えました。自分で自分の心臓を見ることはできないのに、、と少し羨ましい気持ちになりました。

9日の夜、担当医のO先生より手術の説明がありました。ここで人工弁の二者択一を迫られます。かのシェークスピアは「人生は選択の連続」だと言いましたが、今まで生きてきてこの時ほど選択に悩んだことはなかったかと思います。ただ入院前に結論は出してはありました。

「生体弁でお願いします。」

私の年齢では機械弁が推奨されるようなのですが、機械弁にするのであれば血液抗凝固薬の管理が必須となります。自分にはその自信がなかったのと、もしかすると将来は今回入れるであろう生体弁を残したまま新たな人工弁をカテーテルで留置する手術が一般化するかもしれないという期待を抱いての決断でした。そのためできる限り大きめの生体弁を入れてもらうようお願いしました。

この2日間で苦痛を伴う検査はひとつもありませんでした。いよいよ明日は手術の日です。
男性の看護師さんから術後のICUに持ち込む荷物に事前に作っておいた自分の名前を書いたシールを貼っておくよう指示がありました。手術着とT字帯を渡され緊張は一気に高まります。

10月11日(木)

6時起床。昨夜は緊張のせいかなかなか寝付けませんでしたが、どうせ麻酔をかけられて嫌でも眠らなければならないんだと開き直りほとんど眠らず夜を明かしました。
手術は午前8時30分から。本日一人目のまな板の鯉ということになります。8時前には家族が到着し、看護師さんに手術着に着替えるよう指示されます。8時15分、看護師さん、インターンのUさんと共に歩いて手術室まで向かいました。手術室の少し手前の大きな扉で看護師さんが「ご家族はここまでです」と家族を制したため「いってきます」と手を振り家族とはここで別れました。

このときの看護師Kさんがとても明るい方でした。今思えば術直前の患者の緊張を少しでも和らげるための選りすぐりのベテラン看護師であったように思います。

手術室は結構広く肌寒かったと記憶しています。まっすぐ手術台に向かい踏み台に上り自分で横になりました。何人ものドクター、スタッフの方々が私の体に色々なものを付けていきます。最後に「1分ほどで眠くなってきますからね」と言われて程なくして目の前にある無影灯がグニャリと歪んだように見えました。術前の記憶はここまでです。

心臓手術記録8

当然ですが目が覚めたのはICUのベッドの上でした。正直意識がはっきりするまでの出来事については前後関係が曖昧で正確にお伝えすることができません。人工呼吸器を喉の奥まで入れられ自主的に呼吸しようとすると人工呼吸器の動きと同期が取れずに息ができなくなってしまい大変怖い思いをしたことが特に印象に残っています。喉が異常に渇き、看護師さんに何度も氷をねだったこと。吐き気が酷く歩行訓練もまともにこなせなかったこと。ポータブルのレントゲン装置を背中の下に敷くため看護師さんの手を借り上半身を起こそうとしたときの激痛。この激痛も身体のどこが痛むのかもよく分からない状態。上半身が痛くて寝返りが打てないため背中が凝り始め非常に辛かったこと。精神的にも余裕がなく看護師さんに強い口調で氷を催促したことを思い出すと恥ずかしいのと同時に申し訳なかったなと反省しました。

色々なことが走馬灯のように頭の中に蘇ります。壁に時計が掛けてあったのですが2,3分おきにそれを見ていたように思います。身体中から管が出ていて身動きもとれませんでした。術前から特に心配していたことがありました。尿道に入れた管を抜くときはどんな感じなんだろう・・痛そう・・・
しかしそれは杞憂に終わりました。そんなことは上半身の痛みに比べたら大したことではなかったからです。

心臓手術記録9

それでもICUには一泊のみで手術の翌日には一般病棟に戻ることができました。しかし術後から始まった吐き気を伴う頭痛は一向に治りません。食事を出されても箸をつけることもできません。これには参りました。回診の時ドクターにそのことを訴えるとシグマートという薬を止めることになりました。シグマートは心臓の冠動脈を広げ血流を改善するための薬ですが、副作用として嘔吐、頭痛が上がっています。
シグマートを止めたせいかは分かりませんがその後吐き気と頭痛は治まり術後3日ぶりに食事が摂れるようになったのです。

術後はベッドに横になったり起き上がったりが物凄くしんどい作業でした。寝返りを打とうとすると首筋の吊るような痛みや背中に何かが突き刺さるような痛み、様々な痛みが同時に襲ってきました。仕方がないので座ったまま眠ろうと試みたりしましたが上手くいきません。それにICUを卒業しても体には様々な管が繋がっているため身体の自由が全く利きません。

それでも術後4日目くらいから少しずつですが痛みが引いてきたように思えました。食欲も出てきましたし、このころには腹部に刺さっていた管2本の抜去も済んでいたはずです。
寝たり起きたりは大変でしたが歩くことは平気になりました。もしかしたら軽いジョギングすらできるのではないかと思ったくらいです。

術後4日目から心臓リハビリプログラムが始まりました。心臓リハビリではホルター心電図計を装着しながらの歩行、階段昇降、トレッドミル、ストレッチなどをトータル1時間半ほどでこなします。汗をかくほどの運動ではありませんが、リハビリを終えると一層身体が軽くなるのが分かりました。術前の手術への重圧からも解放され、あとは日に日に元気になっていけるんだという高揚感で胸がいっぱいになりました。

術後5日目になると同室の患者さんと話ができるくらい気持ちに余裕が出てきました。隣の患者さんは胸骨を切らないMICSで僧帽弁形成術を受けたようでした。術後2日間はあぶら汗をかくほど創部が痛かったそうですが、その後はかなり自由に動き回っているように見受けられました。明らかに自分とは快復のスピードが違うなあと痛感させられました。

心臓手術記録10

私はその後手術からちょうど1週間で退院をすることができました。実は私は執刀医であるA先生には結局最後までお会いするチャンスはなかったのですが、手術を見学したUさんにA先生が執刀していたと聞いて本当にA先生が執刀してくれたのだと知ることができたのです。

いま入院生活を振り返るととても幸せな気持ちになります。前述の通りドクター、看護師の方たちがいつも明るく元気付けてくれ、何も不自由を感じることなく無事退院することができたのですから。

私の場合、将来再び選択を迫られる時が遅かれ早かれやってくるものと思います。それを承知で生体弁に決めたのですが、今回の一連の体験でその来たるべき時への不安はなくなりました。再手術をしなければならないとなった時どう感じるかは分かりませんが、今はいい思い出となった心臓手術体験を糧にして頑張っていける自信があります。カムバックハートさん率いる(元)心臓病仲間との出会いもそれを後押ししてくれています。

入院するにあたり沢山の人の力をお借りしました。勤務先の方々、友人、家族、、、人間ひとりでは生きていけないのだと改めて感じ元気で安心して生きていける身体を手にした今、お世話になった人たちに恩返しをしていきたいと心から思います。

皆さん、どうもありがとうございました。

執筆: ©ともちゃん(2018年11月) 

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(ご質問やご感想のコメント欄への記入をお待ちしています)

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Secret

No title

たぶん同じ病院?なかまがいてうれぴい

その通りです

ひでほさん、

そうです!ともちゃんはひでほさんと同じ病院、同じ医師の手術を受けられました。
集まりでお二人お会いできると良いですね。

No title

体験談を読むと 自分の手術した体験時を重ね合わせて読むので手術した時にタイムスリップしてしまします!

しかし 
手術経験は皆それぞれ。 

同じ心臓手術とは言え色々な差異があるとトコが体験談の面白いトコです!
また集まりの際は 差異について色々語りあいたいです。

はじめてましてkeloと申します

ともちゃん(さん)
はじめてましてkeloこと鎌田と申します。

※前回の回でご一緒してたと思いますがお話の機会はなかったかと思います。
8年くらい前に磯村先生に執刀して頂いた者です。(僧房弁閉鎖不全症 弁形成)

詳細書かれててわかりやすく読み応えありました。興味深く読ませてもらいました。
J大学附属病院というのは多分、、あそこではないかと思いますが個人的に興味もあり、次回の会等でもし同席出来ましたら色々とお話を伺えればと思います。



燃える闘魂

御大、現物は超おもしろいですよ。
術後急激にくっつこうとしている肋骨が痛くて「モルヒネー」とICUで叫んでも
ナースはさいしょ無視していたのですが、自分がしつこく叫んだら、「教授に確認します」。
数分後、怒鳴りながら御大登場。
「お前ら、痛みは緩和したほうが治癒は早いんだ!なぜそんなこともわからん!!」
さすが燃える闘魂信者は違います。

一呼吸おいて、御大は自分に近づくなり、
「すぐモルヒネ打つよ。今は痛みには耐えないほうがいい。モルヒネ切れたら呼んでね」
腕の立つ整備工と話している感じでした。

ICUで一発、病室で一発、都合二発モルヒネいかせていただきました。

僧帽弁閉鎖不全・弁形成術術後90日でアメリカ出張、もちろん自分で運転して
カバンかつぎました。
御大、ガッツリ縫ったそうです。

以上、2007年の事でした。

コメントありがとうございます

ヒメノさん、Keloさん

いつもコメントありがとうございます。

この前の集まりでともちゃんとKeloさん両名ともいましたよ。
あれくらいの人数になると話のできない人も出てきますね。
また次の機会にともちゃんに色々聞いてみてください。

良順さん、

コメントくれると思っていましたよ。
私の知っているJ大学附属病院&A医師の手術を受けられた方はともちゃんとコメント
くれたお二人の三名です。
良順さんも手術から11年ですね。

参考になりました。

ともちゃんさん、こんばんは。
11月の会でご一緒させていただきました、たつおです。
始めての参加でどんな方が来られるのかドキドキしてましたが、
似通った病気と戦っている同士達という雰囲気にすっかり馴染むことができました。私もともちゃんさんと同じ病気で術前のため、その際のともちゃんさんからのお話はとても参考になりましたし、このブログでさらに内容が深まりました。私自身は診断から次回春まで経過観察の身で、手術についてはまだ決まってませんが、弁の選択、病院・医師の選択については、いくら悩んでも決め手にかける状況です。また、お会いしたときに、お話聞かせてください。

No title

ひでほさん、 はぐれもの良順さん

はじめまして。同じ先生の手術を受けた方が二人もいらしたとは!
是非お会いして『腕の立つ整備工』のお話聞かせて頂きたいです。

姫野さん

先日はどうも!
漫画、楽しく読ませて頂いてます。姫野さんは漫画で手術体験を表現できて羨ましいです。続きが気になります。

keloさん

はじめまして。この集まりでは磯村先生に手術してもらった方が結構多いですよね。どんな先生なんでしょうか。こちらこそ今度お会いしたら是非色々お聞きしたいです。

たつおさん

先日はどうも!いかがお過ごしでしょうか?
たつおさん見てたら、まるで過去の自分を見ているような気持ちになりました。
手術が終わるまでは、なかなか落ち着かないと思います。
体験談には痛そーーーな事も書いちゃいましたけど大丈夫ですからね。
退院後も日に日に良くなって「人間の身体ってよくできてる」って必ず思うはずです。またお話ししましょう。




プロフィール

Author: カムバックハート

カムバックハートブログバナー

カムバックハートこと、鍋島と申します。神奈川県川崎市在住の54歳男性。

2008年12月に40歳で心臓の僧帽弁形成手術を受けて、第二の人生をスタートさせることができました。

南淵先生と私

南淵先生と私(術後の初外来にて)


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このブログは、私が心臓弁膜症の僧帽弁閉鎖不全症という病気に診断されたところから、入院、手術、退院、その後の生活という流れで時系列に記載しています。手術を受けた時の描写は2008年12月の状況ですので、その後の医学の進歩で内容的に古くなっている部分があるかもしれません。実際の患者にしか分からない心理的な面の記述をできるだけ表現したつもりです。最初から読まれる場合は、「★はじまり ~こちらからご覧下さい~

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南淵明宏先生の公式サイトにある「勇患列伝」 その7に出てくる「平松」とは私のことです。

yomiDr.のサイトにある世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ にこのブログのことを書いて頂きました。こちらの記事には第三回(元)心臓病仲間の集まりについて書いて頂きました。
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