術後十回目の誕生日
心臓手術を受けてから今日で丸十年になります。「手術日」=「第二の誕生日」にアップしている恒例の創の写真です。光線の具合で見え方が変化しますが、もはや切り傷としての認識は全くありません。残っているのは記念の手術創です。

大げさかもしれませんが命をかけて心臓手術を受けた方は、恐らく誰もが治療によって救ってもらった命の大切さ、今生きていることのありがたみや周りの人への感謝の気持ちを、術前よりも強く感じる時があると思います。そうした感情が行動力の源となって、その人の人生での新たな目標や挑戦を得ることも多いと思います。
年月の経過は、一般的には人の記憶を薄れさせることでもあります。一時は高揚した術後の感情も放っておくといつしかそれが当たり前のこととしか感じられなくなってきます。そのようにして、心臓手術を受けたこと自体をすっかり忘れ、心臓病を患う以前の状態に完全に戻る方も多いようです。そうした方々はそもそもこのようなブログを読まれないし、集まりで出会うことはないのですが、それはそれで決して残念なことではありません。むしろ医者にとっては自分の患者がそうなってくれることは医者の冥利に尽きることだと思います。
一方、集まりで(元)心臓病仲間の話を聞くと、彼らの手術経験の記憶は常に鮮明で、時の経過による喪失感のようなものは感じられません。定期的な集まりで記憶を毎度リロードしているからなのかもしれません。集まりでは、術後直ぐの方も、手術から5年、10年、15年以上経った方も、何の違和感もなく初対面から知己として盛り上がることができます。いつまでも忘れない、忘れたくない各自の手術の記憶を共有できるからだと思っています。
心臓も脳と同じように記憶を保存することができるという科学的な話を本で読んだことがあります。なので、心臓移植をすると生前のドナーの記憶体験がレシピエントに感じられるそうな。詳しくはこちらの記事に紹介した本をご参照。もしかしたら心臓手術による生還の記憶は、脳よりも心臓に深く刻み込まれているのかもしれませんね。だから手術のことを忘れないで、心臓を愛でる、労わる、そういう気持ちを意識的に継続していれば、術後に生まれた高揚感を生きるエネルギーとして継続できるのではないかと信じています。
術後十回目の第二の誕生日を目前にして、(元)心臓病仲間の黒鉄さんからあることがきっかけで素晴らしい言葉を頂きました。これを読んで、私の気持ちは奮い立ちました。今朝もちゃんと起きることができたありがたみ、仕事をできるありがたみ、家族と過ごすことができるありがたみ、趣味に没頭できるありがたみなど。もし、50-60年前に自分が生まれていたら・・・私は今頃、弁膜症逆流度レベル4から10年以上が経過しており、心不全や合併症によって、もしかしたらもうこの世に生きていなかったかもしれません。弁膜症手術を行う為に必須の人工心肺装置が発明されたのが1953年のことです(先日紹介した、「まんが 医学の歴史」 茨木保著 医学書院にも書かれています)。それまでは心臓を止めて行う手術は実質できなかったわけです。50-60年前と言えば、わずか2世代ほど前のご先祖の時代のこと。何百万年も続く長い人類の歴史において、絶妙なタイミングで我々はこの世に生まれてきたのだなと宇宙観的思考が広がります。
術後、100%の快復を得ることができない方は沢山います。また術後何年間も順調だったのに、ある日突然に脳梗塞や脳出血に見舞われる方もいます。私はこの10年は幸いに元気にやってきました。しかし、明日以降どうなるかは全く分かりません。
術後、多くの人は術前より体力精神力共に強靭になります。でもいつか、心臓病の再発やその他の病気、又は老いで体が不便になることがあるかもしれません。不便であっても、不幸ではない、生きているのだから幸せなのだ。黒鉄さんに頂いた言葉を読んでそういう気持ちを新たに感じさせてくれました。
心筋梗塞を経験され生還された黒鉄さんだから書くことができる言葉です。我々の大事な(元)心臓病仲間のために書かれた言葉ですが、私にとって素晴らしい第二の誕生日のプレゼントとなりました。ありがとうございます。
カムバックハート
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我々は、
誕生日を2回以上持っている。
死亡日は0回だ。
命が助かって退院して・・・ <中略>
死人には忘年会はできない。
生きてるから休日出勤もできる。
心臓の性能は少々低下したが、命が助かってハッピーだ。
脳梗塞でも死んで当然の命が助かってハッピーだよ。
生きてるだけで丸儲け。
死んだらそれまでよ。
考心会も、今度の忘年会のメンバーも、
もしも
50年前の医術だったならば、
全員死んで誰一人として生きていない。互いの顔も名前も一切知らずに、会うこともなく死んだはず。
こんな幸福メンバー100%の会は、
他にないと思うね。
それに2回3回死ぬ可能性だった人もいる。けれども今は生きている。何倍も幸福だ。
©黒鉄2018
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大げさかもしれませんが命をかけて心臓手術を受けた方は、恐らく誰もが治療によって救ってもらった命の大切さ、今生きていることのありがたみや周りの人への感謝の気持ちを、術前よりも強く感じる時があると思います。そうした感情が行動力の源となって、その人の人生での新たな目標や挑戦を得ることも多いと思います。
年月の経過は、一般的には人の記憶を薄れさせることでもあります。一時は高揚した術後の感情も放っておくといつしかそれが当たり前のこととしか感じられなくなってきます。そのようにして、心臓手術を受けたこと自体をすっかり忘れ、心臓病を患う以前の状態に完全に戻る方も多いようです。そうした方々はそもそもこのようなブログを読まれないし、集まりで出会うことはないのですが、それはそれで決して残念なことではありません。むしろ医者にとっては自分の患者がそうなってくれることは医者の冥利に尽きることだと思います。
一方、集まりで(元)心臓病仲間の話を聞くと、彼らの手術経験の記憶は常に鮮明で、時の経過による喪失感のようなものは感じられません。定期的な集まりで記憶を毎度リロードしているからなのかもしれません。集まりでは、術後直ぐの方も、手術から5年、10年、15年以上経った方も、何の違和感もなく初対面から知己として盛り上がることができます。いつまでも忘れない、忘れたくない各自の手術の記憶を共有できるからだと思っています。
心臓も脳と同じように記憶を保存することができるという科学的な話を本で読んだことがあります。なので、心臓移植をすると生前のドナーの記憶体験がレシピエントに感じられるそうな。詳しくはこちらの記事に紹介した本をご参照。もしかしたら心臓手術による生還の記憶は、脳よりも心臓に深く刻み込まれているのかもしれませんね。だから手術のことを忘れないで、心臓を愛でる、労わる、そういう気持ちを意識的に継続していれば、術後に生まれた高揚感を生きるエネルギーとして継続できるのではないかと信じています。
術後十回目の第二の誕生日を目前にして、(元)心臓病仲間の黒鉄さんからあることがきっかけで素晴らしい言葉を頂きました。これを読んで、私の気持ちは奮い立ちました。今朝もちゃんと起きることができたありがたみ、仕事をできるありがたみ、家族と過ごすことができるありがたみ、趣味に没頭できるありがたみなど。もし、50-60年前に自分が生まれていたら・・・私は今頃、弁膜症逆流度レベル4から10年以上が経過しており、心不全や合併症によって、もしかしたらもうこの世に生きていなかったかもしれません。弁膜症手術を行う為に必須の人工心肺装置が発明されたのが1953年のことです(先日紹介した、「まんが 医学の歴史」 茨木保著 医学書院にも書かれています)。それまでは心臓を止めて行う手術は実質できなかったわけです。50-60年前と言えば、わずか2世代ほど前のご先祖の時代のこと。何百万年も続く長い人類の歴史において、絶妙なタイミングで我々はこの世に生まれてきたのだなと宇宙観的思考が広がります。
術後、100%の快復を得ることができない方は沢山います。また術後何年間も順調だったのに、ある日突然に脳梗塞や脳出血に見舞われる方もいます。私はこの10年は幸いに元気にやってきました。しかし、明日以降どうなるかは全く分かりません。
術後、多くの人は術前より体力精神力共に強靭になります。でもいつか、心臓病の再発やその他の病気、又は老いで体が不便になることがあるかもしれません。不便であっても、不幸ではない、生きているのだから幸せなのだ。黒鉄さんに頂いた言葉を読んでそういう気持ちを新たに感じさせてくれました。
心筋梗塞を経験され生還された黒鉄さんだから書くことができる言葉です。我々の大事な(元)心臓病仲間のために書かれた言葉ですが、私にとって素晴らしい第二の誕生日のプレゼントとなりました。ありがとうございます。
カムバックハート
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我々は、
誕生日を2回以上持っている。
死亡日は0回だ。
命が助かって退院して・・・ <中略>
死人には忘年会はできない。
生きてるから休日出勤もできる。
心臓の性能は少々低下したが、命が助かってハッピーだ。
脳梗塞でも死んで当然の命が助かってハッピーだよ。
生きてるだけで丸儲け。
死んだらそれまでよ。
考心会も、今度の忘年会のメンバーも、
もしも
50年前の医術だったならば、
全員死んで誰一人として生きていない。互いの顔も名前も一切知らずに、会うこともなく死んだはず。
こんな幸福メンバー100%の会は、
他にないと思うね。
それに2回3回死ぬ可能性だった人もいる。けれども今は生きている。何倍も幸福だ。
©黒鉄2018
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⇒comment
No title
10年生還おめでとうございます。少し元気をもらいました。誕生日なんて考えてみたことがなかったです。
ありがとうございます!
ひでほさん、
お言葉ありがとうございます。
読んで頂いて元気を得て頂けたのは嬉しいです。
心臓手術日を第二の誕生日と考える人は多いです。
多分、心臓以外の手術だとそういう気持ちにはならないかもしれません。
私の場合、心臓以外では鼠径ヘルニア手術を数年前に受けたのですが、
その日付も年月もほぼ忘れています(笑)。
心臓手術は特別な感情を与えてくれるようです。
お言葉ありがとうございます。
読んで頂いて元気を得て頂けたのは嬉しいです。
心臓手術日を第二の誕生日と考える人は多いです。
多分、心臓以外の手術だとそういう気持ちにはならないかもしれません。
私の場合、心臓以外では鼠径ヘルニア手術を数年前に受けたのですが、
その日付も年月もほぼ忘れています(笑)。
心臓手術は特別な感情を与えてくれるようです。